絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅰ 
 とすれば、次期店長。本人が承諾するかどうかは分からないが、矢伊豆が副店長4人の中で一番切れる存在、カリスマ的存在を発揮していることは確かだった。仕事ができるだけでは勤まらない。皆が慕える人間というだけでは適していない。だとしたら、仕事が例え松岡よりも下でもその存在感をアピールして全員をまとめるだけのオーラがある者、矢伊豆が適しているような気がするのだ。
 本人も、店長になればもう少し締まるだろうと思う。
 今は……店長に少し甘えて時々さぼっている時もあるが、計算の上でのさぼりだとも分かっている。
 イヤホンからはずっと声が聞こえていた。それはすべてどうでもいいようで、重要なこと。
 宮下は背伸びをして、見えるはずもない向こう側の壁を見ようとする。
 やはり、何も見えない。
 ズボンのポケットではずっと携帯電話が鳴っていた。バイブレーターの音が静かに聞こえる。
 だが、今は知らないふりをする。
 今、しなければならないことは、他にある。
「宮下店長」
「何?」
 突然の香月のにこやかな呼び出しに思わず笑顔で振り向いてしまう。
「すぐそこのたい焼き屋、行きました?」
「あぁ、スタッフルームにあったから一つ食べたよ、ジャムしか残ってなかったからジャムだけど」
「やっぱり皆食べたことあるんだー」
「そうでもないと思うぞ」
「今日くらい買って帰ろうかなあ……」
 商談の途中で抜けてきたのか、ファックスを流すとすぐにまた商談カウンターへ移動していく。
 香月も少し余裕が出てきたようだ。色々な事件があったが、だいぶ自分の中で処理ができてきたのだろう。
「帰ってきたら、お前がついてやった方がいいんじゃないのか?」
 坂野咲の言葉が時々頭に浮かぶ。
 だがまっすぐ前を見直す。
 そう。決めるときは、多分全てが覚悟、できたときだ。
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