雨と傘と
もう、上の空もいいとこだった。
気付けば、放課後だった。

今日から、部活だ。

兄貴と野球ができるって朝から楽しみにしてたけど、それどころじゃない。けど、心がどんなに沈んでいても、表に出さないことは得意だった。だから、平静を装ってグラウンドへ出た。

空は澄んで綺麗に青く、まだ肌寒い風に遅咲きの桜が舞っていた。
このグラウンドの空気は本当に好きだ。
野球をしている間だけは、余計なことを頭から追い出せるから息ができた。


日が傾いて、練習が終わる。
一年の定番の仕事であるボール磨きをしていると、兄貴が近づいてきた。
俺は、その場に立ちあがった。

「朔人。」

弟の名前を淀みなく呼ぶこの兄は、俺の様子がおかしいことに気付いていると思う。穏やかな表情を浮かべれば周りをだませるが、兄貴だけは昔から誤魔化せない。手元から視線を上げれば、俺より少し高い身長の兄と目が合った。

なんつー顔してんだよ。
普段の明るい表情が、冷たく凍りついている。
んな辛そうな顔されたら、何も言えねぇだろ。

兄貴は、

「今日、幸葉と帰る。」

それだけ言うと、野球部と反対側のソフトボール部のダイヤモンドに向かって歩いて行った。遠くに、レーキを掛ける幸葉の姿。そこに向かって真っ直ぐ歩く、生まれてからずっと見続けてきた兄の背中を、俺は、ただ見ていた。


仲良し三人兄妹を、兄は終わりにするらしい。


手元に視線を戻すと、握り締めたボールは酷く汚れていて、自分の心の中みたいだった。だから、残りのボールを手にすると、力いっぱい磨いた。心を綺麗にしたかった。
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