犬と猫…ときどき、君


ゆっくりと春希の首に回されたのは、フワフワのニットの袖に包まれた、細い腕。

チカチカと点滅する街灯に映し出された影が小さく揺れて、春希の顔に静かに近より、重なったのは……見覚えのある、彼女の顔だった。


「……っ」

フラッシュバックを起こした私の脳裏に、あの図書館での光景がよみがえる。


別に、今更動揺する必要なんてないのに。

あの子は――松元さんは、春希の彼女で、それはもうずっと前から続いていた関係で。

今の私は、全然関係なくて……。


そんなの、分かっているのに。

それなのに――……。


思い出してしまったのは、沖縄で私を抱きしめた春希の温もり。

それに、耳から離れない、私を好きだと言ってくれた春希の声。


それは今日まで何度も何度も蘇って、胸に甘い痺れを残して……。

だけど、動揺する私をあざ笑うかのように、簡単に消えていってしまう。


この想いがなくなるまでは、心の中で想っていてもいいんじゃないかとか、いつかきっと、今野先生だけを見られるようになったら、春希のことは自然に忘れられるんじゃないかとか……。

そんな卑怯なことを思っていたから。

だからきっと、罰が当たったんだ。


デジャヴのようなこの光景は、現実で。

「ハルキさん、大好き!」

そう言って笑う彼女は、やっぱり甘えるのがすごく上手で、すごく女の子らしい可愛い子。


きっとまだ二人とも気が付いていないんだから、急いで来た道を引き返せばいい。

引き返して、もっと人がたくさんいる明るい大きな通りに出て、この泣きそうな気持を、その中に溶かしちゃえばいいんだよ。


――だから……早く、行かないと。


震える指をギュッと握りしめて、一歩後ずさり。

そのまま、いなくなろうとしたのに、どうして上手くいかないんだろう。


ニコニコと嬉しそうに笑う松元さん。

その前に立つ春希が、ゆっくりと後ろを振り返る……。


目が合った瞬間、その瞳を大きく見開いて、すごく困ったように顔を顰めたんだ。


それなのに私は――……。

松元さんの前で、春希が私のことを“胡桃”って、そう呼んでくれたことが、何故か嬉しくて。


それと同時に、そんな自分を本当に最低な人間だと思った。


どうして、最近こうなんだろう。

春希を好きな気持ちに気付いてから、自分がどんどん汚くて、醜い人間になっていく気がする。


もちろんそれは、春希のせいじゃなくて、自分の気持ちの問題なんだけど……。


――あの頃と変わらない声で自分の名前を呼ばれて抱いたのは、きっと優越感。


それに気づいた瞬間、ハッとした。

今野先生も、松元さんも、春希も裏切ることになるその感情は、絶対に抱いてはいけない感情なのに。

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