闇夜に笑まひの風花を
*****
翡苑の部屋を辞した杏は、自分の仕事部屋には寄らなかった。
素通りして、彼女が向かい合った扉は__開かずの間。
初日に晃良に見咎められた扉の前。
その部屋で起こった大惨事というものが何を表すのか、杏はもう分かっていた。
杏はドアノブに触れる。
特に呪術は掛けられていなかった。
部屋の中は真っ暗だ。
それでも、廊下のわずかな明かりによって照らされたその部屋の床は……赤かった。
杏は開かずの間に入り、扉を閉める。
指を鳴らすと、部屋中に明かりが灯る。
照らし出された全貌は、息を呑むほどだった。
十三年前の大惨事について知らないものが足を踏み入れれば、おそらく嘔吐くらいはしただろう。
正気で、見られる光景ではない。
「……ふっ……」
杏は口元を抑えてその場に座り込んだ。
涙が止めどなく頬を伝う。
__彼女の罪が、ここにあった。
その部屋は真っ赤だった。
床も、壁も。
天井まで、赤が飛び散っている。
どれだけの血が、流れたのだろう。
どれだけの人が死んだのだろう。
忘れてしまった杏は、もう知り得ない。
ここで、彼女の両親は死んだのだ。
ここで、裕と遥の母は死んだのだ。
他にも、たくさんの呪術師が死んだのだ。
小麦色の長い髪毛。
それが、裕と遥の母だった。
真っ赤だった。
すべてが赤に染まっていた。
部屋も、骸も、髪までも。
その中で、染めきらぬものもあった。
赤だらけの空間にぽつりと浮かぶ白。
彼らの、骨だった。
「うっ、あっ、ああっ……」
ごめんなさい。
ごめんなさい。
いくら謝っても足りないけれど、謝らずにはいられない。
泣き虫だった私が、あの夜から泣けなくなった。
泣いている暇なんて、なかったから。
それでも。
悲しくて、辛くて……。
だから、ここで泣かせて。
心が壊れる前に、泣かせて。
これからは泣かない。
本当に泣けなくなるから。
今だけは。
「……わああああぁぁぁぁぁっっ!!!!」
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あなたたちの生命を奪ってごめんなさい。
罪を、忘れてごめんなさい。
十三年も呑気に笑っていてごめんなさい。
私の罪の所為で狂わせてしまった殿下も、遥のことも、不幸にはしない。
これ以上、巻き込まない。
……そう。
あの、黒髪と常盤色の瞳の少女も。
翡苑の部屋を辞した杏は、自分の仕事部屋には寄らなかった。
素通りして、彼女が向かい合った扉は__開かずの間。
初日に晃良に見咎められた扉の前。
その部屋で起こった大惨事というものが何を表すのか、杏はもう分かっていた。
杏はドアノブに触れる。
特に呪術は掛けられていなかった。
部屋の中は真っ暗だ。
それでも、廊下のわずかな明かりによって照らされたその部屋の床は……赤かった。
杏は開かずの間に入り、扉を閉める。
指を鳴らすと、部屋中に明かりが灯る。
照らし出された全貌は、息を呑むほどだった。
十三年前の大惨事について知らないものが足を踏み入れれば、おそらく嘔吐くらいはしただろう。
正気で、見られる光景ではない。
「……ふっ……」
杏は口元を抑えてその場に座り込んだ。
涙が止めどなく頬を伝う。
__彼女の罪が、ここにあった。
その部屋は真っ赤だった。
床も、壁も。
天井まで、赤が飛び散っている。
どれだけの血が、流れたのだろう。
どれだけの人が死んだのだろう。
忘れてしまった杏は、もう知り得ない。
ここで、彼女の両親は死んだのだ。
ここで、裕と遥の母は死んだのだ。
他にも、たくさんの呪術師が死んだのだ。
小麦色の長い髪毛。
それが、裕と遥の母だった。
真っ赤だった。
すべてが赤に染まっていた。
部屋も、骸も、髪までも。
その中で、染めきらぬものもあった。
赤だらけの空間にぽつりと浮かぶ白。
彼らの、骨だった。
「うっ、あっ、ああっ……」
ごめんなさい。
ごめんなさい。
いくら謝っても足りないけれど、謝らずにはいられない。
泣き虫だった私が、あの夜から泣けなくなった。
泣いている暇なんて、なかったから。
それでも。
悲しくて、辛くて……。
だから、ここで泣かせて。
心が壊れる前に、泣かせて。
これからは泣かない。
本当に泣けなくなるから。
今だけは。
「……わああああぁぁぁぁぁっっ!!!!」
ごめんなさい。
ごめんなさい。
あなたたちの生命を奪ってごめんなさい。
罪を、忘れてごめんなさい。
十三年も呑気に笑っていてごめんなさい。
私の罪の所為で狂わせてしまった殿下も、遥のことも、不幸にはしない。
これ以上、巻き込まない。
……そう。
あの、黒髪と常盤色の瞳の少女も。