【B】明日は来るから 【優しい歌 外伝】



「恭也君……嬉しいけど、
 私……そんな部屋で暮らせないよ。

 真人の治療費も高くなるでしょう。
 
 今はピアノ教室の仕事も、
 スーパーのバイトも休職してるから
 貯金切り崩すしかない。

 だから……」




こんな贅沢は
私には出来ないの。  



「だったら真人君に会いに行ったときに
 うちで働くといいよ。

 神楽さんのそのピアノで。

 1日2回。

 エントランスに置いてある
 ピアノで来院している患者さんやご家族を
 楽しませてくれるといい」



思いがけない申し出。




「奥の部屋、開けてごらん」



言われるままに開いた扉は
防音扉。



重たい音を立てて開く扉の向こうには
漆黒のグランドピアノ。



漆黒のボディーに刻まれているのは、
スタインウェイ。





「弾いてよ」




そう言って私に
ピアノ演奏をリクエストするのは
あの頃と同じ。


グランドピアノの蓋に手をかけて、
恭也君が一気に開けると
取り覗かれた赤いフエルトの下から
姿を見せる、白と黒の鍵盤。


ピアノの椅子を後ろにひいて
私をその前へと座らせる。



鍵盤の前で両手をこすり合わせるように
指先に熱を加える。




「リクエストは?」

「何時もの曲」




そのまま私は、
久し振りに彼の為に
リストを奏でた。



何時も私を支え続けてくれた
愛の夢を、
今はこうやって彼の為に再び奏でている
私がいる。



そうこうしていると、
防音室のスピーカーからチャイムが聞こえた。



「はいっ。
 母さん、すぐに行くよ」


恭也君がそう言うと、
私はピアノを弾くてをとめる。


防音室の扉が開いて、
玄関へと向かった恭也君は
懐かしいその人を連れて戻ってくる。




「おばさま……」

「神楽さん、久し振りね」



あの頃、歩くのがやっとだった
おばさまは、
今では身の回りの事が自分で出来る程度に
回復していた。



「三人で食べようと思って」




そう言って、おばさまが広げるのは
手にしてきた紙袋に詰め込まれた
お弁当箱。

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