僕はショパンに恋をした
「え……。」

名前を呼ばれて、驚いた。

俺は今日、何度間の抜けた顔をしただろう。

「どうして…俺の名前…、知ってるんですか…?」

「さて、どうしてでしょう?」

楽しげに彼は、疑問詞に疑問詞で答える。

訝しそうな顔をして見せると、またあっはっはと笑った。

「何度かコンクールのパンフレットを見たことがあったからね。」

そういうことか。

「君はピアノが好きかね?」

この人も、ピアノを好きになれとか、上手くなれとか言いたいのだろうか。

余計なお世話だ。

「…どちらでもありません。」

すると彼は、不思議なことを言った。

「君にも大事なものができると良いね。それまでは無理に好きとか嫌いとか決める事はないのかもね。」

「………。」

また黙り込んだ俺に、彼はもう一度言った。

「弾きたくなったら、またおいで。」

二度目のその言葉は、すとんと胸の片隅に気持ち良く届いた。

素直に頷けた。

そのまま少し頭を下げ、扉を開けて店を出た。

夕焼けできらきら光った海が広がる。

来た時ほど、いらいらと感じないのは、夕焼けできらきらがやわらかくなったせいだけではないみたいだ。

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