奥さんに、片想い

 ―◆・◆・◆・◆・◆―

 
 翌日も、なんとなく孤立しているふうの美佳子ではあったが、以前通りにきちんとそつない仕事が出来る彼女に戻っていた。
「昨日は有り難う。ぐっすり眠れた」
「ふうん、それは良かった」
 僕の席で集めている書類を持ってきた隙に、美佳子からひとこと。そして僕も素っ気ない顔でひとこと。
 僕も変わらない。宥め役で終わった一夜。そして美佳子も変わらない。自分の小さなセクションをまとめている小役人の主任男に、いつもどおり愚痴を聞いてもらって立ち直っただけ。
 彼女が平常心を戻したのは嬉しいし、僕も楽しい時間を過ごせた。でも期待なんかしない。僕だっていい歳の男だ。小さな事で浮かれて勘違いなんかしたくない。
 いつも通り。彼女のことが好きでも……。

 だと、思っていた。

「佐川君って美味しいお店、いっぱい知っていそうだよね」
 暫く日が経った頃だった。二人になった隙を見て美佳子からそう言ってきたのだ。
「あといくつ『ボンゴレ』を隠し持っているのよ」
 ボンゴレを隠している――つまり『美味い店をどれだけ知っているのだ』という意味らしく、僕は笑い出しそうになったがデスクにいたのでなんとか堪える。
「なんか知らないと損している気になったきたのよね。なんとかしてよ」


 僕の答は決まっている。他の誰にも悟られないように、これまた彼女の顔などみないよう、脇にある書類を整理する振りをして小さな紙にペンを走らす。

「うん、わかった。これ僕の」
「サンキュ」

 携帯電話のメールアドレスを即行で記した小さなメモを差し出す。それを彼女はさらっと軽やかに取り去り何食わぬ顔で去っていった。

 それから半年後。僕たちは婚約した。
 社内の誰もが驚いた。『いつの間に!』とか『わからなかった!』とか。
 あるいは――。『どの男ともうまく行かなかったから、仕方なく地味な佐川君を選んで、噂で居づらくなったこの会社を寿退社するんだ』とも、囁かれていた。
 僕は彼女の逃げ道ということらしい。
 気にしない。僕は元々彼女が好きだったから。僕はいま大満足。

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