奥さんに、片想い

「っつぅ。思いっきり殴ってくれたなあ」
 正直、腸煮えくりかえっていた。
 美佳子を弄んで、自分のミスを省みず人のせいにして暴力だなんて。
 あんなガキのどこか良かったんだ。なあ、美佳子? もうお前がアイツのこと最低と蔑んでいてもアイツと少しでも関わっていたこと、惹かれていたことが……僕には……。
 なんとか湧き上がる怒りを抑え、僕はコンサル室に戻る。
 僕が戻る時には女の子達が既にヒソヒソとざわめいていた。汚れたシャツに血が滲み痣になった口元を見れば、誰だって知らぬ振りは難しいだろう。
 案の定、それは僕の上司である課長の目にもとまった。
「徹平、どうしたんだ。それ」
「いえ、なんでもありません」
「そんなわけないだろう」
 『こっちに来い』。課長席へと手招きをされ、致し方なく僕は向かう。
「殴られたんだな。それだけの原因があったということだろ。こんな会社の中で、そんなこと……」
 問題になりかねないと課長は言うが。僕と彼はある意味因縁の間柄。ほんの少し前、一人の女性と深く関わっていた男同士。ここで僕の口から簡単に彼のことを悪く言ったりなんかしたら、すぐさま美佳子を挟んだ『いがみあい』と見られる可能性が高くなる。だから絶対に『業務を全うした』ことにしたかったから僕は口を閉ざす。
 どんなに尋ねても答えない僕を見て、『あの課長。私、見ていたんですけど』と先程の女の子の一人が弁護にやってきてくれた。だが自分はアイツより信念を通したいから無言を貫く、その代わりに女の子に言ってもらうだなんて男じゃない。彼女達が言葉を使う業務で顧客との接点最前線で戦っている時、その武器を使えなくなった時に援護すべき男がこの様に助けてもらうだなんて。僕にとってはとんでもないこと。彼女の口から言わせるぐらいなら――。
「沖田君に殴られました」
「なに。営業のか……。殴り返したのか?」
 僕は首を振る。課長がホッとした顔をした。
「分かった。もう戻って良いぞ」
「はい」
 なにもかも理解した顔で課長が席を立ちコンサル室を出て行ってしまった。
  課長が不在となったコンサル室で、顧客インバウンド着信の音が響き渡る。インカムヘッドホンをしている女の子達も黙々とコンサル業務を行ってくれている中、やはり『サイテー』、『ひどい』、『いつかこうなると思った』なんて囁きがちらちら聞こえてきた。

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