奥さんに、片想い

 彼が去り、僕は溜め息をこぼした。
 若い青年の魅力とはなんなのだろう。手に届きそうだから、女として少し頑張ってしまうのだろうか。大人になった自分の魅力で、若い二十代の女性と勝負する。まだいける勝負が出来る。自信がないところは『男の言葉』で前に進む。『美佳子さんって綺麗ですよね』、『全然、三十歳にはみえないよ』、『俺、年上好みなんですよ』、『若い女より、経験がある女性の方が魅力的だな』。僕の頭の中、あの沖田がにやけた顔でそんな言葉を囁いている。この憎々しさ。そしてそんな男の言葉に頬を染めて、女としての艶を醸しだし、ついにはまだまだ眩しいばかりの青年へと手を伸ばしてしまう。
「はあ、だめだ。もうだめだ!」
 あの時、うんと下の下の下の道を地味に歩いていた僕の真上に、沖田に落とされた妻が降ってきた。偶然、僕が受け止め、そこで泣いている彼女がもう上には行けないからと僕に抱きついた。
 額を抱え、僕はマウスをがちりと握る。そしてそのまま業務PCをシャットダウンさせてしまう。
「課長。残っていますが、明日、早めに来てまとめておきますので今日は帰ります」
「ああ、そう。いいよ」
 課長はいつもなにもいわない。僕がやるままにしてくれる。

 

 自宅に帰ると、妻と娘は先に食事中だった。
「お帰りなさい。もうちょっと遅いかと思っていたけど」
「うん、明日の朝、早めに出ることにしたんだ。なんだか今日は残業している人間が多くて集中できなくて」
 毎日玄関で迎えてくれる美佳子もなんの疑いもない顔で『そう』と微笑む。
 娘はテレビを見ながら食事中。僕は寝室へ着替え、そしてその後を妻がついてくる。
「今夜は酢牡蠣を作ったんだけど。お酒はどうする?」
 部屋の灯りもつけずにネクタイをほどいてシャツのボタンを外す僕の後ろ、部屋のドアにもたれかかる美佳子からいつもの問いかけ。
 肩越しに振り返り、美佳子と目が合う。
「徹平、くん?」
 ゴールデンタイムのバラエティー番組、笑い声に効果音が賑やかにリビングから聞こえてくる中、僕は暗がりの寝室に美佳子を引っ張り込んだ。
「ちょ、てっぺ……い」
 クローゼットの扉に彼女を押しつけ、背中から抱きついた。扉がガチャガチャとうごめく中、戸惑う彼女に構わず、僕は妻のスカートをたくし上げその奥に潜む柔らかい肌を鷲づかみにしていた。

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