愛を教えて
今、このとき、ふたりの心はすぐそばまで近づいていた。

卓巳が口にした『愛し合うあまりつい夢中になって……』それは芝居でなく、真実になりかけていたのだ。



しかし、そんな卓巳の前にハードルが立ちはだかる。

愛を得ようとした彼を、神は土壇場で見放した。



卓巳が愛を失った原因、それは――母であった。


卓巳の母、響子《きょうこ》は、五歳の卓巳を置いて家を出た。

その七年後、父を亡くし施設にいた卓巳の前に母は現れた。母は再婚していて、卓巳は引き取られることになる。

母の再婚相手は、長距離トラック運転手だった。留守がちな夫の目を盗み、母は若い男を連れ込んではセックスに明け暮れた。それも、思春期の卓巳の真横で行為に及んだのだ。

その挙げ句、年に一度は妊娠し、夫に内緒で近くのうらぶれた産院で中絶を繰り返していた。


――お前は資産家の御曹子の種だから産んだのに、結局役に立たなかった。こんなことなら、お前も堕ろせばよかった――と、何度も罵られた。


卓巳が妊娠中絶に過敏に反応するのは、このことが原因だ。


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