愛を教えて
しかし、妊娠中絶の過去は卓巳にとって予想外だった。
いい取引材料にはなるが、祖母はもちろん、周囲のやかましい連中が知れば明らかにマイナスだ。

また、卓巳の万里子に対する初見が誤りであった可能性も捨て切れない。
その場合、計画そのものを中止にする必要が出てくる。

卓巳の素性を明らかにするのは、計画を続行すると決めてからで充分だと考えていた。


「恐れ入りますが、弁護士の先生が私に何か?」


万里子の不審そうな声に、卓巳の思考は一時中断した。
一番信用を得られそうな肩書きなので、“弁護士”を選んだ。だが、立ち居振る舞いがそれらしく見えているかどうか、卓巳にもわからない。

卓巳は咳払いをしながら、なるべく曖昧に話を進めた。


「突然、申し訳ありません。東西銀行の渋江頭取からいろいろ話を聞きました。お嬢さんにもお伝えしたいことがありまして、お迎えにあがりました」

「は? それは、何のことでしょうか?」

「千早物産の経営状況と、あなたが今夜、頭取宅に招かれている理由です」


万里子はますます不安そうな顔をする。

どうやら、彼女は警戒心の強い慎重なタイプらしい。卓巳が用意した肩書きや小道具では、万里子を連れ出すのは難しそうだ。

卓巳は仕方なく、携帯電話を取り出した。


「わかりました。では、私の身分を渋江頭取に証明していただきましょう」


過信している訳ではないが、自分の容姿で女性を連れ出すくらい簡単だと思っていた。
念のため、渋江に話を通しておいてよかった、と心の内でホッと息を吐く。
卓巳は渋江と二、三言だけ会話し、「ご確認ください」と万里子に携帯電話を差し出した。


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