輪廻転生
転生、夢に向かって

加害者の事件後、歌手デビュー

祐太朗達が消滅した。1979年7月2日、人間界では阿部祐太朗君殺害事件の犯人大林良太に対する公判が行われていた、検察側は大林が過去に類似した殺人事件を起こし13年服役した前科(懲役14年)や殺人事件前に詐欺や窃盗事件で懲役計3年(窃盗罪による執行猶予中に窃盗、詐欺による執行猶予取り消しによる懲役1年+詐欺及び窃盗罪で2年)があることや命乞いした被害者を無残にも胸を刺して殺害した悪質性や逃走した犯行後の情状の悪さや被害者遺族の死刑を求める厳しい処罰感情を立証していった、弁護側は大林本人が深く反省していることや遺族に謝罪の手紙を出していることを主張していった。翌年5月12日、祐太朗は転生し若山年也として生まれた。8月19日、阿部祐太朗君殺害事件の論告求刑公判で検察側は殺人及び窃盗罪で服役しながら再犯し、被害者は夢まで後一歩で命を身勝手な犯行動機により奪われ被害者の無念は極めて甚大で理不尽過ぎであり遺族の処罰感情も厳しいとして被害者1人であっても極刑が相当とし死刑を求刑した。翌月、弁護側は被害者は1人であり深く反省しているとして死刑回避を求め結審した。第27回公判、12月20日、横浜地裁は殺人事件の前科があるにも関わらず強盗殺人事件を起こしており矯正は不可能として求刑通り死刑判決を下した。弁護側は即日控訴した。東京高裁は約2週間おきに集中的に公判を行い、弁護側は情状面を集中的に立証を重ねた、公判は50回にも及んだ、1982年2月5日、東京高裁は一審の死刑判決について重すぎるとはいえないとしながらも被害者が1人に留まり深く反省しており現時点では一審判決は重すぎるとして死刑とした横浜地裁判決を破棄し無期懲役を言い渡した。被告人、弁護側は上告せず、検察側は無期懲役は軽すぎて不当であるとして異例の上告に踏み切った。11月6日、祐太朗の妹理子の生まれ変わりである年也の妹、麻衣が生まれる。翌年1月7日最高裁判所は弁論を開いたが、4月21日に検察側の上告を棄却する判決を下した。判決で最高裁は命乞いをした被害者を殺害したのは悪質だが被害者は心臓を一突きにされて短時間に死亡しており被害者の苦痛は多いとはいえず極めて残虐極まりないとまでは言えない、また殺害の計画性は無く被害者を刺してしまったこれにより自暴自棄になり殺害に及んだ、被害者1人で死刑を選択するには他の要素で相当悪質性が必要との基準を示した。本件は殺人前科と遺族の処罰感情等以外に被告人に不利な要素が多いとはいえず、無期懲役が相当と判断した。仮釈放は認めるべきでないと付け加えた、5月7日、最高裁は検察側の訂正申し立てを棄却し大林良太の無期懲役が確定した。大林は岐阜刑務所に服役した。霊界審判から21年後、2000年2月15日、神奈川県横浜アリーナで千葉県千葉市の大学生若山年也(19歳)の歌手デビューの初ライブが行われた、僕の名前は若山年也(わかやま としや)19歳、大学生、両親は平凡なサラリーマン、現在彼女はいない、今まで付き合ったことすらない、今日ついに歌手として初ライブ(デビュー)することになった。ここまでの道のりは壮絶だった、15年間常にアクセル全開の全開モードだった。もちろんこれからもアクセルを緩めるつもりはない。当日早朝、年也は前世に関する夢を見た。年也「またか?」祐太郎が現れた。年也「誰?」祐太郎「阿部祐太郎だ、若山年也、お前に人生を引き継ぎに来た、よくここまでこれたな、感謝するぜ、オレが出来なかったこと叶えてさらに上を目指してこい、お前なら行けるぜ」年也「阿部祐太郎誰、いや、あぁ!ここまで来たら引き下がれねぇな、遊びじゃ済まされない、とことんやってやるさ」祐太郎「ふん、後は頼んだ、アクセル全開で立ちはだかる壁を粉砕してこい、あばよ」年也が起きた、年也「夢か?でも、祐太郎がオレにどう関係あるか分からないが、全力で行く」年也は細いジーンズにパンクの服に着替え、美佐恵「年也、今日ついに歌手デビューね」
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