高天原異聞 ~女神の言伝~

 ただひたすら、美咲は慎也を抱きしめたまま座り込んでいた。
 そうしていれば、いずれ目を覚ましてくれるかというように。
 神霊を抜き取られたというのに、慎也の身体はまるで眠っているかのように温かだった。
 鼓動も脈打ち、呼吸もしている。
 魂が身体になくとも、生きていられるものなのか。
 それとも、慎也が伊邪那岐という特別な神の神霊であるからこそなのか。
 ようやく出逢えたのに、今度は魂だけが攫われるとは、しかも、それが、以前自分を助けてくれた坂崎綾の仕業とは。
 何が何だかわからないまま、根の堅州国は崩壊し、建速の神威に護られ、美咲達は今また暗闇の中にいる。
 それは、黄泉国へ向かう道の半ばであった。
 道を塞ぐ大きな岩の前で、神々達は思案していた。
 その岩は、千引《ちびき》の岩――伊邪那岐が黄泉国の死の女神となった伊邪那美との別離を受け入れたと伝えられてきた、事戸《ことど》の岩であった。
 岩の向こうに黄泉国があることはわかっているが、その先は岩に塞がれ全く見えない。
 建速と宇受売と葺根が岩の周囲を探っている。
 久久能智と石楠は、変わらず美咲の傍にいる。
 そして、その近くに、先ほどまで建御名方が憑坐としていた人間が横たわっている。
 神が降りた憑坐には、目覚めればその時の記憶はない。
 神が祓われた今、神威を使うことはもちろんできず、放っておくこともできないため、眠らせたまま連れてきたのだ。
 不意に、神々が新たな神気を感じた。
 神々の視線が、横たわる人間に集まる。

「――」

 建御名方が憑いていた憑坐が目を開ける。
 それは、建御名方ではなかった。
 国津神ではあるが、別の神気と神威が感じられた。
 そして、神気が違えば、顔の造作は変わらずとも、神格の違いによって、まるきり別人のようにも見えた。
 新たな神が、憑坐に降り、起き上がる。

「お初にお目にかかります。我は闇山津見《くらやまつみ》、山津見の姉比売様の命により、根の堅州国を探っておりました」

 その神は、建御名方よりは年上に見えたが、まだ若い神のようにも感じられた。

「姉比売は、何故黄泉神の手先となった」

「あれは、姉比売様の望みしことではございませぬ!! 姉比売様は、闇の主の策に嵌ったのでございます――」

「策に嵌ろうがどうしようが、我々の邪魔をしたことには変わりない。祖神伊邪那岐の神霊を闇の主に奪われたのだ」

「かの神は、日嗣の御子ではございませぬのか……? 姉比売様は、そう申しておりました」

「違う。何故そなたたちが見誤るのかはわからんが、あれは祖神、伊邪那岐で在らせられる」

「失礼致しました。我らにはわからぬのです。違うのならば、何故、祖神様から、我らの敵とも言える天孫の日嗣の御子の神気と神威を感じるのか――姉比売様は間違いないと仰せでした。そして、その傍らに在らせられるのは、妹比売様だと。半神で在らせられた妹比売様を見誤るなど我らには及びもつかぬこと……」

「それは我らにも与り知らぬこと。美咲は我が祖神伊邪那美で在らせられる。それ故、今生にありて我が護るべき神なり」


< 243 / 399 >

この作品をシェア

pagetop