高天原異聞 ~女神の言伝~

 石楠が、慎也の身体を抱き上げる。
 美咲は立ち上がり、久久能智に護られ、千引の岩から少し離れた。
 建速が独り進み出て千引の岩に触れる。
 宇受売と葺根がその脇に控えた。

「千引の岩に宿る道返之大神《ちがえしのおおかみ》に奏上致す。我は三柱の貴神《うずみこ》、建速須佐之男なり。降りしませ。そして我の願いを叶え給え」

 神気が揺らめき、神威が満ちる。
 荒ぶる神の神威に反応して、千引の岩からも神気が揺らめく。
 新たな神が降りてくるのを、美咲は感じた。

――我を喚ぶは、何故ぞ。何を望む。

 大気に響く、神の言霊は昏く、深い。
 神霊のみの神の声だ。

「祖神伊邪那岐の神霊が黄泉神に攫われた。それを取り戻すため、我らは黄泉路を降らねばならぬ。どうか我らを通してもらいたい」

――父上様が――? ならば、我はそなたの望みを叶えねばならぬ。父上様を救うべく、黄泉路を降ることを許そう。かつて黄泉神から豊葦原を護る為に、父上様がここに我を置いた。それから、一度だけ、祖神様は若き国津神とともに、ここを通り黄泉路を降られ、再び戻ってきた。そなたたちも通るがいい。父上様を救い出し、戻って参れ。

 言霊とともに、暗闇の中に神威が満ちて、輝いた。
 道を塞いでいた岩が、真ん中で裂け、静かに開いた。

 建速が美咲を振り返る。

「美咲。慎也を取り戻しに往くぞ。今なら往ける」

 伸ばされた手を、美咲は取ることができなかった。

「……駄目よ……」

 己のものではない恐怖が、急に心を占める。
 この恐怖は――伊邪那美のものなのか?

「美咲?」

「母上様?」

「私は行けない……黄泉国にだけは、行けない」

 美咲の身体がふわりと傾ぐ。
 建速が咄嗟に美咲を捕まえる。

「美咲!?」

 だが、美咲の身体から力が抜けていたのは、一瞬のこと。
 すぐに、閉じられていた目が開かれ、建速の腕から離れ、自分の力で身体を支えた。
 その違和感に、建速は気づいた。

「――そなた、誰だ」

 建速が美咲を見つめながら、問うた。
 美咲の中にいる神が、建速に向かって一礼する。

「女神はお隠れになりました。代わりに、私が黄泉国へご案内致します」









< 245 / 399 >

この作品をシェア

pagetop