高天原異聞 ~女神の言伝~

 熱が弾けたように、激しい震えが美咲の意識を覚醒させた。

「……」

 身体の奥が何度も痙攣している。

「美咲さん、気がついた?」

 荒い吐息の中、慎也が上から覗き込んでいる。
 一瞬、混乱した。
 はだけたシャツから覗く肌。
 自分の身体の奥に伝わる熱。
 首を傾けると、不思議な輝きに包まれながら、外の景色が見える。
 校舎と、水銀灯。
 周囲には、こちらに背を向けて水の中に立っている神々の姿が。
 背中に当たる、弾力のある柔らかさ。
 濡れていないのに水の感触。
 プールだ。
 学校のプールの水面上で、背を向けている神々に囲まれながら、慎也に抱かれている。

 信じられない。
 こんなところで。

「……い、やぁ……」

 だが、抗おうにも首から下の身体の力が抜けきっていて、腕を上げることすらできない。

 わけがわからない。
 どうしてこんなことになっているのか。

 身体が動かない恐怖と、そんな身体をみんなの前で抱かれている羞恥で涙が零れる。

「美咲さん、泣かないで」

 慎也が美咲のこめかみに流れた涙を拭う。

「身体が、死にかけてるんだ。神威と神気を満たさないと死んじゃうって。だから」

 慎也が動かない美咲の手を掴んで指を絡めてくちづける。

「俺をおいていかないで。戻ってきて」

「慎也、くん……」

「ずっと一緒にいたい。他に何もいらない。美咲さんだけでいい」

 泣きそうな顔で、慎也は美咲にくちづけた。
 くちづけた途端、流れ込んでくる熱。
 これが、神威なのか。
 抱かれることで、神威を満たすのか。
 再び慎也が動き出す。
 理解はしたが、それでも、心が受けつけない。
 八尋殿では、あんなにも全てが満たされていたのに、今は虚ろなだけだ。
 そして、虚ろな心を満たすのは、哀しみだけ。
 これが、死の力なのか。
 あらゆる熱を、温かな感情を、想いを、奪い去る。

 何て寂しい、負の神威。

 時を留めたように、空の色が変わらない。
 雲の位置が動かない。
 風が吹かない。
 聞こえるのは神々の言霊の美しい響き。
 乱れた吐息と、交合いの淫らな音。
 自分を留めようとする慎也が、愛しいのに、切なかった。

 そんなにも必死に、自分を留めようとするなら、なぜ、あの時おいていったの――?

 死が近いからなのか、黄泉国での哀しみの記憶が溢れてくる。
 裏切られた怒りが、憎悪が、押し寄せる。

 この心を、どうすればいい。

 それでもまだ、こんなにも愛するなど。
 相反する感情に、この身さえ引き裂かれてしまいそう。

――思い出してはいけない。

 不意に身体を満たす、不可思議な思い。
 けれど、美咲はその声に従った。

 思い出さなければいい。

 それは、美咲にとっての天啓だった。
 哀しい記憶を、裏切りの記憶を、思い出さなければ、このままでいられる。
 今はまだ、その刻《とき》ではない。
 浮かび上がってきた記憶を、美咲はもう一度心の奥底に沈めた。
 そうして、愛しさだけで、その身を満たした。
 愛しい半身に抱かれる喜びを。
 交合いの末に産まれる喜びを。
 満たさなければ。
 早く。
 早く。

 そうでなければ、戻れない――






< 287 / 399 >

この作品をシェア

pagetop