高天原異聞 ~女神の言伝~

 朝議を終えた天照に、月読が声をかける。

「姉上、御挨拶に参りました」

「挨拶?」

「今宵は望月。豊葦原での宴に、姉上の名代として往って参ります」

「ああ――そうだったか。すまぬな。忘れていた」

「瑣末な事はお任せを。姉上は御心安らかに過ごして下さい」

 度重なる荒ぶる神への申し立てに、太陽の女神も最近は庇い立て出来ずにいる。
 そのせいか、何かと理由をつけては機織り小屋に籠もり、天津神にも会わぬようにしているらしい。

「大宜津比売は古き神。粗相の無いように」

「御意に」

 一礼して大広間から前庭へと出る。
 そのまま天之安河原あめのやすかわらへ一番近い門へと向かう。
 途中で、前庭を歩く建速に会う。
 荒ぶる神は三貴神の末でありながら、体躯は月神よりも逞しく、ともすれば月神の方が末のように視える。

「豊葦原に降りるのか」

「姉上の名代としてな。そなたがそれ程に執心する豊葦原を視てこよう」

「豊葦原は、美しい処だ。そなたも気に入る」

「莫迦なことを。我ら三貴神の在る処は、高天原ではないか。やはりそなたは変わっている」

 月読の言霊に、建速が咲う。

「建速。姉上を煩わせてはならぬ。そうでなくともお忙しい方なのだ」

「そうだな。何が忙しいのか、俺にも逢おうとせぬ」

「そなたが煩わせるからだ。もうすぐ此処を去るのならば、おとなしくしていよ」

 建速を見上げると、その視線は、遠くを視ていた。

「どうした? 何を――」

「静かに」

 荒ぶる神が、そっと動き出す。
 月神はわけもわからずついていく。
 木々の向こうに、何やら視える。
 それは、二柱の神だった。
 一方は男神だ。
 もう一方は、女神だ。太陽の宮の采女の装束を着ている。
 なにやら言い争っているように、月神には視えた。
 さらに近づけば、男神が女神を木に押しつけ、くちづけしているところだった。
 女神が抗うも、男神はくちづけながら女神の上衣を左右に開き、乳房をまさぐっていた。
 木を背にしているので、女神の容は視えないが、はだけられた白い肌と胸に顔を埋める男神が視えた。

「……ああ……駄目……やめてぇ……」

 女神の弱々しい言霊にも、男神は構わずに愛撫を続ける。
 月神は、眉を顰め、前に進み出た。

「やめよ!!」

 麗しい声音が、強く響いた。
 男神が、女神の胸元から顔を上げ、月神と荒ぶる神を視界に入れるや、驚きに平伏す。
 女神は振り返ることも出来ず、慌てて乱れた上衣を整える。

「此処は太陽の女神の宮ではないか。場所を弁えよ」

 女神は恥じ入るように宮の奥へと走り去った。

「建速、そなたから諭してやれ。嫌がる乙女に無理強いをしてはならぬと」

「――」

「では、私はもう往かねば。思兼が待っているからな」

「気をつけて往け」

 月神を見送ると、荒ぶる神は平伏したままの男神に目をやる。

「あれは、神御衣かむみそを織る巫女神だな」

「――左様にございます」

「欲しいのなら、奪わねばならぬ」

 荒ぶる神の言霊に、驚いたように顔を上げる男神。
 その瞳は、金と赤の斑だった。






< 368 / 399 >

この作品をシェア

pagetop