真実の永眠

-背中-

 夕焼けの空。オレンジに染まる世界。その色は深みを増す。
 私達は、今もベンチに座って話をしていた。
 優人は携帯電話をポケットから取り出して、頻りに時間を確認していた。
 その動作が、私を不安にさせた。
 もしかしたら退屈なのかも知れない。もう帰りたいと思ってるのかも知れない……。
「……時間、大丈夫?」
「うん。次のやつに乗るから大丈夫」
 携帯電話をパタンと閉じて、優人はそう言った。
 それって大丈夫って言うのだろうか……。
 きっと乗ろうとしていた時間は、こうして話している間に過ぎてしまったに違いない。もしかしたら、本当は早くに帰りたかったのに、私の事を気遣って帰るなんて言い出せなかったのではないだろうか……。
 考え出すと負の方向へ行ってしまう。
 しかし今更ごめんねと言った所で、過ぎてしまった時間は取り戻せない。どうせ何をしたって、優人は次の時間で帰るしか方法はないのだ。
「次の汽車は何時?」
「次は……、四十分後だから、十七時過ぎくらいかな」
 優人は携帯電話も何も見ないでそう言った。毎日のように利用している為、時間はほぼ把握しているのだろう。
「そっか」
「うん。学も次の時間で帰るって」
「あ、そうなんだ」
 まだ一緒にいたいと思っているのは自分だけかも知れないし、優人はさっきの時間で帰りたかったかも知れないけれども……まだもう少し一緒にいられる事を、素直に喜んだ。
 優人はまた携帯電話を弄り始めた。どこか向こうを眺めながら、パカパカと開いたり閉じたりしている。
 音が気になって優人の手元を見ていた。
 退屈、もう帰りたい、優人の動作はそれらの意思表示に見えて、少しだけ辛かった。
 その様子をじっと見ていると、優人がいきなり視線を前に戻したので、私はすぐに手元から視線を逸らした。
「……携帯、早く新しいのが欲しい。この携帯壊れてて、メールくらいしか出来ないし」
 視線を手元の携帯電話に向けながら、彼は言った。
「え、じゃあ不便だね。通話も出来ないの?」
「うん。相手の声が全く聞こえない」
「そっかぁ……」
 私も優人の携帯電話に視線を向けながら、簡単に返事をした。
 話が思うように続かなくて、話しては途切れ話しては途切れの繰り返しだった。もっと明るくノリのいい女の子なら、優人はもっと楽しめただろうか、退屈な思いをしなくても済んだのだろうか。
 沈黙が訪れる度にそんな事を考えてしまう。
 最初は緊張していて話せないのが当たり前だ。だから沈黙も仕方ないと思える、思って貰える。自分は沈黙も大して苦ではなかったけれど、しかしこう何度も訪れると、何か話さなくてはと焦ってしまう。だが焦るばかりで、結局気の利いた話は出来なかったけれど。
 子供達はまだまだ元気が有り余っているようで、今もまだ楽しそうに遊んでいる。
 ぼんやりと思考を繰り返しながら、私は子供達の様子を眺めていた。
 しかし、ふと隣の優人が気になって、視線をそちらに向けようとしたけれど、彼も子供達を見ているのが視界に入って、結局優人に視線を移す事をやめた。
 楽しそうな笑い声が響く。
「あ」
 それは私だけだったのかどちらもだったのかは定かではないけれど、小さな声が漏れた。
 私達が向ける視線の先、子供達は一箇所に集まり、上を見据えながら困惑の表情を浮かべている。
 子供達が使用していたボールが、木の枝に引っ掛かってしまったのだ。ふわふわとしたボールだった為に、簡単に木の枝に掴まってしまったようだ。
 木は割りと高く、私の身長でも難しそうだ。手を伸ばして取れるか取れないかの際どい所。けれど。優人の身長なら簡単に届くだろう。手を伸ばせばすぐに。
 子供達は届かないと分かっていても必死に手を伸ばしている。その姿は何だか可愛らしかった。
「ふふ、取ってあげたら?」
 言いながら優人を見ると、その表情はやはりと言うか、優しい表情だった。
 必死に手を伸ばす姿が可愛いのか、優人はもう暫く子供達の様子を眺めた後、自身の膝にポンッと手を置いて、
「よしっ、行くかな」
 そう言ってすっと立ち上がった。
 優人は子供達の傍に寄ると、木の枝に手を伸ばして、そっとボールを下ろした。
 はい、と言って子供達にボールを手渡すと、優人はこちらのベンチに向かって歩いてきた。
 彼の背後からは「おにーさん、ありがとー」と叫ぶ子供達。
 その様子をニコニコしながら眺めていた私が、制服を翻しながら歩いてくる優人に笑い掛けると、彼は照れたのか恥ずかしそうに笑って視線を逸らした。
 子供達はまたボール遊びを再開する。
 優人は私の隣に腰を下ろすと、暫くは子供達の様子を眺めていた。



 夕方はまだまだ冷える。
 春用の服を着てきた私は、寒くなってしまって、両袖を引っ張りそれで手を隠した。
 寒いと言いそうになったけれど、優人といる今、何だか「寒い」の一言に色々なニュアンスが含まれているような気がして、そしてそこに何らかの期待が含まれていると優人が感じてはいけないと思い、極力その一言は口に出さないよう努めた。
 自分が何も望んでいなくても、期待をしていなくても、何だか言葉にするのは憚られた。
 けれど、本当に寒い。
 晴れているのに、あんなに鮮やかな夕陽が街中を照らしているのに、夕方はいきなり冬に逆戻りしたのではと思う程に寒かった。
 結局何となく動きで「寒い」と伝わってしまったのだろう。
「寒い? 戻る?」
 優人は私の様子を見て、駅の方を指差しながら、そう尋ねてきた。
 それに私はこくんと頷く。
 私達は立ち上がって、座っていたベンチも、木々も子供達もこの場所も、全てを後にして歩き出した。
 丁度ラッシュ時なのか、人が多い。
 景色は夕焼けに染まって、空は綺麗なオレンジ色をしていた。沈んで行く夕陽を背にして、私達は歩く。
 一歩先を歩く優人の背中を、私は無言で見つめていた。
 広く大きな背中。それが今はまだ自分の目の前にあるけれど、時間が来たらその背中は離れてしまう。
 手を、伸ばしたかった。
 もう少ししたら離れてしまう、けれど今はまだ、目の前にいる。
 先程まで隣にいてくれた優人の背中に、――この手を。
 けれど私達は、恋人ではない。そんな事が許される関係ではない事が、酷く悲しくなった。……泣きたくなった。
 出来る事ならばこの手を、伸ばしたかった。
 伸ばせば良かった。
 けれど、やっぱりそれは、出来なかった。
 出来ないのなら、せめてこの言葉を、その背中に贈りたい。
「……だい、すき……」
 自分だけにしか聞こえない小さな小さな声は、街の音に埋もれてしまったけれど。優人の耳に届く事はなかったけれど、それでもいい。
 確かな気持ちはここにある。
 私は、視線を優人の背中から地面に移し、俯いて歩いた。



 ――――――――
 夕陽を背に歩いて
 少し前に居るあなた見つめ
 大好きだと 聞こえない様に呟く
 それ以外の言葉はもう此処に無くて
 溢れる愛に俯きながらも
 それでもこの上無く、幸せだった


 景色を塗り替えないで
 どんなに暗い闇でも無垢な笑顔が
 全てを照らして鮮やかに染め替えるの
 小さな光をあなたへと
 それだけでいい それだけで幸せ


 守り抜くの
 作り上げた『わたし』が
 たとえ一瞬で崩れても――……
 ――――――――



 駅の中に戻ると、寒さは少し和らいだ。
「まだ少し時間あるし、どっか見て回る?」
 優人は時間を確認しながら、そう言った。
「うん」
「あ、携帯見に行く?」
「うん、行く」
 そう答えると優人が歩き出したので、少し距離を空けてその隣を歩いた。
 人が多く、駅はごった返しになっている。
 その中を擦り抜けて、目的のショップまで歩いて行く。
 きっと今私達は、多くの人々に恋人同士に見られている事だろう。それが何だか申し訳なくてなるべく離れて歩くようにしたけれど、やっぱり本当言うと、嬉しくて仕方なかった。
 駅内に小さなボコモショップがある。
 そこに着くと、それぞれ色々な携帯電話を手に取って、触ってみたりボタンを押してみたりと使い心地を確認していた。
 次に、私は自分が買おうとしている携帯電話を探した。すると、
「――これでしょ? 欲しいって言ってた携帯」
 優人の声にそちらを向くと、その手には、私がずっと欲しいと、買おうと思っていたホーマの新機種、水色の携帯電話が握られていた。
「あ! それ!」
 優人からその携帯電話を受け取ると、開いたりボタンを押してみたり眺めたりした。
 以前優人と電話で話した事がある。この携帯電話が欲しいと。
 優人がその事を憶えていてくれた事が、たまらなく嬉しかった。
「綺麗な色……近い内に絶対これ買う!」
 笑顔でそう言うと、優人はそれに対し笑って返してくれた。
 優人の手には、今度は同機種である茶色の携帯電話が握られていた。
 私もちゃんと憶えていたよ。以前優人がそれを欲しがっていた事。
 優人も私と同じように、開いて使い心地を確認したりデザインを眺めたりしていた。
 男女が同じ機種を手に取って話しているこの光景は、最早完全に恋人同士そのものだ。店員と目が合う。きっとそれに違いないと思い込んでいるであろうその店員が、微笑ましいものを見るかのように私達を見ていた。
「あー! いたいた!」
 その声に私達が振り返ると、麻衣ちゃんが、探してたんだよーと言うような表情でこちらに近付いてきた。
 隣には松田さんもいる。
「二人共ずっとベンチに座ってたからそこに行ったのに、いなくなってたからビックリしたよー」
 麻衣ちゃんが小声でそう言ってきた。
「……何で今までずっとベンチに座ってた事知ってるの?」
「ごめーん。実は学と二人の後を付けて、ちょっと観察してた♪」
「……」
 実はあの時二人の姿らしきものが見えた気がしたが、やっぱり麻衣ちゃん達だったのか……。
 私は呆れた顔をしたが、別に見られて困るような事は何もないので、適当に返事をしておいた。
「けどホントにビックリだったよー。暫く観察してて、でも途中うちらも別の所に行ったのね。けど戻って来たら二人共ベンチにいないんだもん! プリクラでも撮りに行ったんじゃないかって学と話してたんだ」
「――……撮ってないよ!」
 ニヤニヤしながら言う麻衣ちゃんの言葉に恥ずかしくなってしまって、小声ながら少し大きな声を出してしまった。けれどこちら女子の会話は、男子二人は聞いていないようであった。
 それ所か優人は優人で、ニヤニヤしている松田さんに揶揄されている。
「お前ら何してたの?」
「……は?」
「途中消えたじゃん」
「……ああ。寒くなって来たから駅の中に戻っただけだよ」
 二人はボソボソと話しているが、私の耳にしっかりとその声は届いている。
 もう、麻衣ちゃんといい松田さんといい、何なんだ……。どうしてこう、揶揄するのが好きな人が多いのだろうか。
「プリクラとか撮ってないの?」
「撮ってないし……」
 ……そんな言葉まで聞こえてきた。
 私は盗み見するように優人の表情を伺った。その表情はいつも通りだが、内心呆れているだろう事は何となく伺えた。
 けれど、こんな温かな関係が、ずっと続いて欲しいと願った。
 麻衣ちゃんと松田さんがいて、優人の綺麗な笑顔が隣にあって。
 永遠に続く訳がないと分かっていても、願わずにはいられなかった。
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