真実の永眠
25話 涙雨
 雨の音がする。
 ザァァッと、鬱陶しいくらいに朝から降り続ける雨。それは夜になっても、一向に止む気配はなかった。
 テレビの音すら何もない、無音の部屋。そこでは雨音がやたらと響く。
 深い深い溜息をついて、ベッドに腰掛け、ただただ雨音に耳を澄ませていた。
 あの空と一緒に、今、思い切り泣いてもいいだろうか――……。











 四月ももう後何日かで終わる。
 優人と出会って一年が経過した。
 色々あった。
 どれだけ笑っただろう、どれだけ泣いただろう。
 今までの出来事を、反芻する。
 つい最近、優人と会って、隣で話し、隣を歩いた。そんな素敵な出来事があった。
 何があっても生涯、忘れないだろう。忘れられないだろう。
 幸せだったんだ、泣きたくなるくらい。あの日は確かに幸せだった。確かに存在したんだ、あの日は。
 ……それがどうして、こうなってしまったのだろう。
 目頭が熱くなるのを感じた。喉元も熱くて痛い。力を入れて堪えないと、何かが零れてしまう。
 ――“何か”って?
 何だろう。
 私はあの日以降の、優人とのメールを思い返す。



 優人が隣にいてくれたあの日、それがあってから、何故だか優人にメールを送りにくくなった。
 メールしないでと言われて送れなくなった訳ではない、意識し過ぎて、送りにくくなったのだ。ずっと前から恋愛感情を持っていたくせに今更意識するというのも可笑しな話だが。
 とにかく今までのように仲良く、友達のように接する事が難しくなってしまった。けれども、メールを送らなくなって優人との繋がりを絶ちたくはないので、何とかいつも通りにメールを送る事に成功した。
 優人もいつものように返事をくれるのだが、何だか、今までとは何かが変わってしまった気がした。
 メールも普通、内容も普通。けれど、どこか素っ気ない。
 それまでは楽しく、メールの回数もそれなりに多くしていたのに、今ではもうあまりメールが続かなくなってしまっている。
 ごめん、もう寝るね。
 ごめん、今忙しいから。
 ごめん、疲れてるからメール終わるね。
 そんな言葉ばかりを、ここ最近は聞いている気がする。
 ――ごめん。
 そんな言葉は聞きたくないと、言わせたくないと、ずっと前から思っていたのに。聞いてしまう、言わせてしまう。メールをしたくないかのように感じてしまう優人の言葉達が、私の心を重くした。
 そんな事いちいち気にするなよって言われてしまいそうな、とても些細な事。
 どうして、こうなってしまったのだろう。
 ああ、何かが零れてしまいそうだ。溢れてしまいそうだ。“何か”って。ああ、涙だ。涙が零れてしまいそうなんだ。堪えなきゃ。
 考えた。
 考えて考えて考えて、もう考える事すらも放棄したくなる程に、懸命に考えた。
 けれどやっぱり、分からなかった。どうして優人があんなに素っ気なくなってしまったのか。
 あの日、優人は本当の所、会いたくなかったのかも知れない。早く帰りたかったのかも知れない。自分と一緒になど、本当はいたくなかったのかも知れない。……携帯電話を無意味に弄っていた彼が、脳裏に蘇る。
 ――でも。
 照れたように笑う優人の顔も、赤らめた頬も、優しい瞳も、全部全部何もかも、嘘だとは思えなかった。
 それらは全て確かに存在したのに。
 自分が気付かぬ内に、何かをしてしまったのだろうか。嫌われてしまう何かを。
 分からない。何も分からないからこそ辛い。
 頬を、一筋の涙が伝った。
 悲しかった。三日程前にしたメールも、『じゃあ風呂入るから』の一言ですぐに終わってしまった。
 時間が時間だったのかも知れない、そう思うようにしていても、やはり早くにメールを送っていたって、きっと何らかの理由を付けられて終わってしまっていただろう。
 この現実が、酷く悲しかった。
 ただ誰かと話す気分じゃないだけ、疲れているだけ、何度もそう言い聞かせた。けれど現実は優しくなくて、もう言い聞かせる事にも限界があるのだと、それは残酷に伝えてくる。
 大きな雨粒が地面を叩く。その音は止まず、それ所か雨足は強くなるばかり。
 諦められるのなら、諦めてしまいたい。近くなっては遠ざかる優人を、追う事が正しい選択なのだろうか?
 分からなくて、何も分からなくて、もう何も考えたくなくて、こんな状況で会うのが怖くなった。だから今月の中旬に行われた試合にも行かなかった。
 麻衣ちゃんに行こうと誘われたけれど、
 バイトあるから。そう言って断った。実際にバイトは入っていたので、嘘はなかった。
 ベッドに倒れ込んで、枕に顔を埋めた。
 自分達はもう、高校三年生だ。
 親友や友達に、彼氏が出来たのだとか、付き合った人数何人だとか、色んな事を聞かされた。その中には、叶わない恋に潔く別れを告げ、新たな恋愛をしている友達も何人かいた。
 自分ももう、新しい恋愛をした方がいいのかも知れない。出来るならきっとそれがいいのだろう。潔く諦めて、他の誰かに目を向けた方が、きっと今なら傷は浅く済むのではないだろうか。
 “出来るなら”――だけれど。
 雨足は弱まらない、強くなるばかりだ。
 いっその事外へ駆け出して、あの雨に濡れて全てを洗い流して貰おうか。例えばあの雨の中、叫ぶように泣いたって、誰にもその声は聞こえないだろう。
 しかし、明日もバイトが入っている。学校は適当に誤魔化せばいいし休めばいいけれど、泣き腫らした顔で接客など出来ない。学校と社会は違うのだ。
 そんな事まで真摯に考えなくてはならなくなるこの現状が、更に心を苦しくさせる。
 どうして泣きたい時に思い切り泣けないのだろう。泣く場所も、今はどこにもなかった。
 自分にとっての幸せな日は、彼にとっての最悪な日なのだろうか。
 今日もメールを送ってみたものの、やはりというか……何通かやり取りをした後、すぐに優人の一言で終わってしまった。
 ――ごめん、疲れてるからまたね。
 また――“ごめん”。
 またねと言ってくれるだけマシなのだろうか、返事をくれるだけ幸せなのだろうか。
 メールを送りにくくなって、状況も悪くなって、試合観戦に行きたくても行けない程に会うのが怖くなって、そしてもう、メールを送りたくなくなった。
 こちらがどれだけ普通に接しても、相手の態度が変わらないのなら、もうどうしようもない。
 ごめん。
 そんな言葉を聞きたくてメールを送った訳ではないのに。
 メールを送る度に、送らなければ良かったと思うようになった。
「……っ……」
 頑張って頑張って堪えていた涙は、結局ぼろぼろと流れてしまった。嗚咽する声が漏れないように、この涙が誰にも気付かれぬように、必死に枕に顔を埋めた。
 隣の部屋からは、テレビの音と、妹達の楽しげな笑い声が聞こえて来る。
 だからきっとこの涙は誰にも分からないだろう。それでいいのだ、それで。
 ザァァァッと、音という音全てを消してしまいそうな程の雨が、ただただ降り続く。
 きっとあれを、涙雨と言うのだろう。
 私はひたすら泣き続けた。



 優人しか要らないくらいに、諦める事など出来ないくらいに、好きになってしまったんです。
 優人にとって何ら変わらない日常でも、自分にとってはこの上なく幸せに思ってしまうんです。
 彼女になりたいなんて願うのは、今となっては無謀な願いなのだろうか。
 まだ頑張ってもいいですか?
 好きで居続けてもいいですか?
「……うっ……っ……」
 一度流れ出してしまったら、もう止め方が分からないくらいに、涙は流れ続けた。
 好きでいたい、こんなに苦しくなる程に大好きで大切に思えるのならば、ずっと好きでいたい。そして大切にしたい。この気持ちも優人も。彼が幸せになれるように。
 大好きです、心から。
 沢山努力しよう。素敵な女になって、優人を幸せにしてあげられるような、そんな素敵で素晴らしい人間になろう。
 明日からまた笑顔で頑張るから、今日だけ、今日だけは、こんなに泣く事を許して下さい。
 雨の音がする。
 ああ、神様。
 夢は自力で叶えるから、自分が望むものは全部全部努力で叶えるから――……。
 あの空と一緒に、今、思い切り泣く事を、許して下さい。
 ――そして。
 自分達がこうして泣いている今も、優人はどうか笑顔でいられるように、優人をずっと、お守り下さい。
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