真実の永眠
31話 拠所
 時間が過ぎるのはとても早いもので、季節は冬本番をとっくに迎えている。
 暦の上では、この月は春に含まれてしまうのか。
 一月。新年を迎えた。
 十二月は、昨年も経験しているから分かってはいたが、仕事がとにかく忙しかった。クリスマスの準備に追われ、早くこの時期が過ぎてはくれないものかとこっそり願っていた。忙しなく生活している内に、それはあっという間に過ぎて行ったが。
 正月は、元旦に家族で初詣に行く以外、あまり正月らしく過ごさなかった気がする。年末年始、休日が一日だけだったから、過ごせなかった、のかも知れないが。
 新年の挨拶をメールで済ませてしまったのも、正月を感じられない原因なのだろう。
 今年、年賀状は三枚程度しか書いていない。
 今年は、どんな年になるのだろう。昨年よりも素敵な一年になる事を願う。



 昨年は、どんな年だったろう。
 新年を迎え、三年生になるまではとても素敵な日々だったけれど、ある日を境に、それが突然崩れてしまったんだ。
 ある日、それは――あの日。
 昨年四月一日、T駅で優人と二人で話したあの日。……以来、ずっと私達の関係は、暗雲に覆われていたようなものだった。そう思っていたのは、きっと私だけだと思うが。
 十一月頃、麻衣ちゃんから優人のK短合格の知らせを聞いた。
 それからの私達は、とても進展したとは言えないが、また昔のように楽しく話す事が出来るようになったのだ。とは言え、やり取りはメールだけで、電話をしたり会ったりする事はなかったが。
 しかし私からすれば、それはとても幸せな事で、それだけで心が満たされていた。二人の関係に多少なりとも変化が表れたのは、優人が進路についてのストレスから解放されたからかも知れない。
 優人は、進路が決まってからアルバイトを始めたらしかった。
 いつから始めたのかは定かではないが、十二月には既に始めていた。それ故、帰りも通常より遅く、部活をしていた時よりも疲れが酷いらしく、疲れているからとメールを終える事も何度かあったが、今までの素っ気ないメールとは何かが違っていて、それで落ち込む事は少なくなった。
 最近はメールをする回数が増えて。
 昔みたいに話せるのが嬉しいから、またメールしたくなる、という良い循環。
 少し前の私達では考えられなかった事だ。
 どれくらいの期間、悩んで悩んで、悩んだろう。長い間悩んで、メールをしたくなくなる事は、何度あっただろう。毎日のように、思っていた。
 諦めそうになって、それでも諦められなくて。諦めたくなくて、どんな事があっても頑張り抜く事を決めてきた。その決意さえも揺るがす程の悲しみに耐えて、今漸く、また楽しいと思えるようになったのだ。



「はぁ……疲れた」
 私は机に向かって、日記を書いていた。今までを振り返りながら、今の心情を綴っていく。
 一旦ペンを置いて、椅子の上で伸びをした。
 時計を見ると、時刻は二十二時を回っていた。
 思っていたよりも時間が過ぎてしまっている事に焦りを感じたが、明日は休み、特に用事もないので、またペンを握りノートにまた新たな文字を書き始めた。
「!」
 傍に置いていた携帯電話が鳴り、動かしていた手を一旦止め、携帯電話に手を伸ばす。
 表示されている名前を見なくても、それが誰からなのかがすぐに分かる。
 数刻前にメールを送り、返事をまだかまだかと待ち侘びていた相手、――優人だ。
 時間から見て、きっと今日もバイトがあったのだろう。
<ごめん遅くなって。今バイト終わった>
 案の定優人からのメールには、そう書かれていた。
 それに対しすぐに返事を返すと、書き掛けだった日記の続きを書き始める。
 今日は優人とメールをしているから、この続きに嬉しい出来事を書けるかも知れないと思うと、無意識に顔が綻ぶ。
 彼からの返事は未だに早いから、嬉しくもあるけれど、書いている手を何度も止められてしまうので、なかなか日記が書き終わらない。
 なんて幸せな事なんだろうか。
「……?」
 優人からのメールを読んだ私は、眉根を寄せて首を傾げた。
 これは何だろう……違和感? 優人の様子が、何となくいつもと違う気がしたのだ。
 ――そうか。
 暫くやり取りをしていて、優人に元気がない事に気が付いた。
 文章、と言えるのか微妙な程に短過ぎる言葉と、並べる絵文字がいつもと違う気がして、素っ気ないというよりは、やはり元気がないように見えた。
<何か今日元気ないね。何かあった?>
 もしも仮に何かあったとしても、優人が相談してくれる確率は殆どゼロだと知っているけれど、どうにも様子が気になるし、出来る事なら優人の支えや力になりたい。
 そう願って、送ったメール。
 また、メール受信を知らせる音色。メールを開くボタンをポチポチと押した。
 優人からのメールと読むと、私の顔は驚きの表情へと変わる。
 きっと、「そんな事ないよ」とか「何もないよ」とか、そんな言葉が書かれているんだろう。そう思っていつもと変わらない様子でメールを開いたのだが。
<今日仕事でオーナーとちょっとあって。オーナーが気に食わない>
 想定外の事が書かれていたものだから、一瞬動揺した。自分から聞いておいてそれはないんじゃないかと思うが、話してくれるとは思っていなかったのだ。
 何て返事をしようか……。
 私も今まで働いて来て、躓く事や悩む事、辞めたくなる気持ち、全部全部感じて通って来た道だから、知っている。それを乗り越えられれば、必ずやりがいや楽しみが生まれる事も。
 たった一人でも人間関係に亀裂が入れば、楽しくなくなる事も安易に想像出来る。それが一番のお偉いさん、オーナーとなれば、面倒な事が多々あるに違いない。
 言葉を慎重に選び、優人の気分を逆撫でするような言動には充分に注意しながら、返事をした。



 優人曰く、そのオーナーはかなりの気分屋らしい。振り回される事も多々あり、とばっちりを食らう事もあるのだとか。
 他人は映し鏡、って本当なんだなぁ……と、改めて感じた。
 優人も実はそういうとこあるから、ね。
 言葉には決して出さなかったが、やはり第三者の目線では、互いの性格が重なっているように感じられた。しかし、こんな風に愚痴を話す優人というのは初めてで、私は嬉しくて仕方がなかった。
 嫌な気分を少しでも和らげる事が出来たのかは謎だが、何とかしたいと思う気持ちだけは誰にも負けない自信があった。
「ん~……」
 ペンを置いてまた伸びをする。少し疲れたので、だらっと机に突っ伏した。
「……」
 あれは。
 ――あれは丁度、一年前だったか。
 自分も昨年の今頃、仕事に躓いて本気で辞めたくなった時期だった。
 何もかもが嫌になって、優人に相談をした事があった。
 ただ「頑張れ」って言葉だけで、ここまで歩いて来たようなものだった。それだけ優人の存在と言葉は大きくて、その在り来たりな言葉一つだけで、自分はどんな事でも頑張れるのだろうと思ったんだった。
 優人の「頑張れ」という言葉の力は、あとどれくらいの力を宿しているのだろう。あと何年その言葉一つで歩いて行けるだろう。
「……」
 静かな部屋。時計の針が時を数える音だけが聞こえる。
 目だけを動かして時計を見ると、時刻は二十三時半を過ぎていて、異様な静けさに納得がいった。きっと隣の部屋にいる母や妹達は、既に寝ているのだろう。
 私は徐に椅子から立ち上がり、明々と点いていた電気を消して、明かりは机を照らしている間接照明だけにした。
「! わわっ……」
 静かな部屋に、メールの受信音がやたらに響いてしまって、慌てて音を止めた。
 優人から届く、おやすみのメール。それを交わせるだけのメールが今日、出来たという訳だから、とても嬉しかった。
 少し前までは、おやすみの言葉に辿り着く前にメールが終わってしまっていたから。



 また、昔のように楽しくお喋りが出来る。また、頑張って行こう。
 優人の「頑張れ」の言葉の力は、いつか薄れてしまう日がきっと来るだろう。その言葉一つでは足りなくなって、いつか「限界」だと思う日が、きっと来るだろう。
 それでも自分は、ただ前を向いて、確かな一歩を踏み出すしか、他にないんだ。
 今年は、どんな年になるのだろう。昨年よりも素敵な一年になる事を、ただ願う。
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