真実の永眠
35話 表情
「麻雀やろうよ」
 部屋に、そんな言葉が響いた。“響いた”のだと、私は思った。実際は全くそんな事はないのだけれど。
 私と麻衣ちゃん、中本さんの三人で話していたが、一旦会話を止めて、その言葉が発せられた先を見やる。
 大石さんは相変わらず一人テレビに向かっていて、コントローラーを離す気はないようだった。
 そう、たった今言葉を紡いだのは――意外にも優人だった。









 優人は、何冊か読み終わった漫画本を几帳面に並べて傍に置くと、テーブルの上に置きっ放しにされていた麻雀道具に手を伸ばした。そして牌をジャラジャラと寄せ集める。
「そうだな、やるか。……おい、大石」
 快く承諾した中本さんはベッドから降り、未だテレビゲームに夢中になって一人背を向けている大石さんに声を掛けた。
「俺はいいや」
「お前がしないと話にならんだろうが」
 ゲームをやり続けていたいのであろう大石さんに、中本さんは優人の向かいに座りながら苦笑交じりに言った。
「……わかったわかった」
 はぁ、とわざとらしく溜息をついた大石さんは、ゲーム機の電源ボタンを押してテレビを消した。そして徐に立ち上がると、ベッドと向かい合わせになる場所に座った。
「三人でやるのか?」
「三人でも出来るし、いいんじゃない?」
 中本さんの問い掛けに、優人が答える。
 三人が牌に触れると、先程よりもジャラジャラとした音が部屋に響いた。
 私と麻衣ちゃんは彼らが麻雀を始める様子をじっと見ていた。
 麻衣ちゃんにとってはこれが普通なのだろう。特に気にした様子もなく彼らを眺めている。
 だが私の表情は、正直そんな穏やかなものではない。あからさまに不愉快を露にしている訳でもないのだけれど。
 以前一度ここへ来た時に、中本さんの友達が麻雀をしている光景を目にしていたから、麻雀を始める様子を見たって然程驚く事ではないのだけれど、まさか優人がするなんて思いもしなかったのだ。
 しかも、麻雀をしようと言い出したのは優人だ。
 私はそれが意外でならなかったし、何だかショックでもあった。理由は、よく分からない。否、ショックを受けていると自覚している時点で、理由は分かっている。やはり、麻雀に対し少なからず「ガラが悪い」という偏見があったのだろう。
 以前の優人とは何かが変わってしまったように思えて、それがショックだったんだ。
「――やっぱ四人でしよう」
 さぁ始めようか、という所で、突然中本さんがそんな事を言い出した。
「雪音ちゃん、」
 彼は私の名を呼ぶと、ちょいちょいと手招きして見せる。そして「一緒にやろう」と言葉を続けた。
 私は困惑した表情で顔を左右にぶんぶんと振った。
「私、ルールとか全然わからないから……」
「大丈夫大丈夫」
 中本さんは笑顔でそう言うと、空いた場所をポンポンと軽く叩き、そこに座るように促した。
「雪音ちゃん、やってみなよ」
 促されても未だベッドから降りようとしない私に、麻衣ちゃんが声を掛けてきた。
「私麻雀やった事ないから、ほんとにわからない……」
「大丈夫。教えてあげるから」
 中本さんにそう言われ、私は麻衣ちゃんに向けた視線を彼へと戻す。
 そして渋々ベッドから降りて、眼前の空いた場所へ、ちょこんと正座した。
 近くなる、優人との距離。
 視線を外していたって視界に入って来る優人の表情は、無表情だった。
 中本さんや麻衣ちゃんとのやり取りの最中、優人がこちらを向く事は一切なかった。
 麻雀をしようと切り出してから少し時間を食ってしまった為、もしかすると優人の機嫌を損ねてしまったかも知れない。
 そう考えて不安になった私は、未だ無表情のままでいる優人を一瞥すると、心の中で謝罪した。
「さ、始めようか」
 中本さんのその言葉を合図に始まったが、ルールが分からない私には何もかもが未知だ。この人生、麻雀という遊びを思い浮かべた事すらない。
「次、雪音ちゃん」
 中本さんに名を呼ばれる。
 自分の番が回って来て、中本さんに助けを求める困惑の視線を向ける。
 彼はこちらの視線に気付くと、――いや、そもそも、こうなると予想してのお誘いだったのかも知れない。僅かに笑みを浮かべて、私から優人に視線を向けた。



「優人、お前教えてやれよ」



「……!」
 彼のそんな無責任な発言に、表情を強張らせ戸惑ってしまった。
 優人の表情を、見る余裕がない。
「……ッ……いやいやいや! 俺、人に教えるの苦手だから……」
「……」
 中本さんにそう言われると予想していたのかいなかったのか、慌てた様子の優人。それを面白がっているのか、中本さんは笑顔で返す。
「基本的なルールでいいから」
「いやいや……っ! 俺は無理だって……!」
「……」
 優人の言葉に複雑な気持ちになり、私は表情を曇らせて黙りこくった。
「いいから早く教えてやれって」
 それに気付いたのか、中本さんがどこか焦れたような口調で言った。
「……」
「……」
「……無理だって……」
 こちらを一度も見る事なくそう言った優人は、終いには背を向けてしまった。
 ……――ズキッ
 心が痛むのを感じた。
「……」
「……」
 大石さんと麻衣ちゃんは、ただ黙って私達の様子を見守っている。
 私は優人の背中を見つめた後、視線を中本さんへとぶつける。
 中本さんは目だけを動かし、優人と私を交互に見やった。そして小さな小さな溜息をついて、暫しの沈黙を破った。その溜息は、面倒な奴だ、そう言いたげだった。
「……じゃあ俺が教えるよ」
「……ありがとう」
 まずはこれを……そう牌を持ちながら話を続けて、結局私にルールを教えてくれたのは中本さんだった。
 説明や牌の意味、色々丁寧に教えられたが、私には何を言っているのか分からないくらいに麻雀というものが分からなかった。きっと分かりたいとも思ってなかったのだろう。
 優人はただただ背を向けていて、自分からしようと言い出したにも関わらず、自分の番ではないからと漫画を読み始めてしまった。
 それを視界の隅で捉えた私は、寂しさを、感じずにはいられなかった。



 ゲームが終わるまで、優人がこちらを向く事はなく、一言だって、話す事もなく。
 自分の番が回って来ても、顔だけテーブルに向けて、慣れた手付きで牌を動かすだけだった。
 ――……参加しなければ、良かった。
 沈む気持ちを隠しながら、ただただ後悔をし始めていた。
 ゲームが終わるまで丁寧に教えてくれた中本さんには申し訳無いが、麻雀が楽しいなどとどうしても思えなかった。





「次もやろうや!」
 一通り終わると、中本さんが楽しそうに声を掛けた。
 それには優人も大石さんも賛成したようで、次のゲームが行われようとしていた。
「雪音ちゃんはどうする?」
 牌を配るのだろう。参加をどうするのかと中本さんに尋ねられたが、視界に入る優人の表情が無表情である事に気付いた。どうしてあんなに、冷たい表情をするのだろう……。
「私はもういいよ。ありがとう」
 参加しない事を告げると、ゆっくりと立ち上がり、ベッドに座っていた麻衣ちゃんの隣に腰掛けた。
「わかった。じゃあ三人でやるか」
 中本さんがそう言って、またゲームが始まった。
 無表情の冷たさが何を語っているのかはっきりとは分からなかったが、恐らく自分が邪魔なのだろうと解釈した。
「楽しかった?」
 先刻のゲームを見ていても特に気に留めた様子もなく、麻衣ちゃんは声を掛けてきた。
「うーん、よくわからない」
 苦笑しながらそう答えると、意味わかんないよねあれ、と言いながら麻衣ちゃんも笑っていた。

「よっしゃー!」
「うわー! マジかー!」

 自分が加わっていた時とは打って変わり、男だけの麻雀はかなり盛り上がっていた。
 中本さんと優人が、大声を出して楽しそうに笑っている。
 大石さんは普段から口数も少なく静かなのだろう。笑って話したりはするが、大声を出す事は滅多になかった。
「うわっ、最悪だぁー!!」
「はははは」
 明るい声が部屋に響く。
「楽しそうだね」
「うん」
 私達は三人を見ながら、そんな事を話した。
 さっきまで沈んでいた気持ちは、その様子を見て少しだけ吹き飛んだ。何故なら、あんなに楽しそうに笑う優人と言うのは、初めて見る光景だったからだ。
 いつも落ち着いていて、大声を出す事なんてないのではないか。失礼極まりないが、爆笑する事なんてあるのだろうか、そう思わせる程に普段は落ち着いていて柔らかい物腰だった。
 今私が見ている優人は、楽しそうに笑い、よく喋る。そして割りと大きな声も出す(煩いとか不快に思う程ではないが)。
 そんな無邪気な優人なのだ。
 初めて見た一面に、私は嬉しくなった。
 自分が加わっていたゲームでは、女子がいる事、中本さんに突然教えてやれと言われた事で、焦って気まずくなったのだろうか。
 大石さんも、男だけの方がやり易そうだ。

「マジかよー」
「うーわー!!」
「はははは」

 色んな声が飛び交って、私と麻衣ちゃんは顔を見合わせて笑った。麻衣ちゃんは騒がしさに呆れたかのような笑い方だったが。
 私は、視線を優人の横顔に向けた。
 そして、無邪気な優人を見られた事が嬉しくて、僅かに顔を綻ばせた。
 けれど、やはりそれを見ると悲しくもなった。
 そこにはまるで、自分の知らない優人がいるかのようだった。
 ……知らない優人って、何なのだろう。そもそも彼との関わりの殆どがメールなのだから、何も知らないのと変わらないのではないか。知ったつもりになっていて、本当は何も知らないのではないか。
 けれども、確かに自分だけが知っている優人もいる筈なのだ。
 ちらりと、また優人を見る。
 今は本当に楽しそうに笑っているけれど、自分がゲームに参加していた時の彼が、やっぱり気掛かりだった。
 背を向けて、まるで自分の存在を消すかのような態度。自分が傍にいる時の、無表情な顔。
 こちらなど、一切振り向きもしなかった。
 麻衣ちゃんや大石さんは、あの時の状況や優人の様子を、特に気に留めてはいないのだろうが、私には中本さんが、優人があんな調子だから、自分を気遣ってくれているように思えて仕方なかった。
 教えてやれよなんて無責任に言ってしまった張本人なのだから、その後の気まずい空気を「しまった」と後悔しフォローしたのかも知れない。
 小さく、溜息をついた。
 何だかもう、優人がわからない。
 近付く程に深まる謎。同時にまた、悲しみもそれに比例し、大きくなる。
 本当は自分の中でそれは、「謎」などではないのかも知れない。と言うと、私には優人が自分を嫌っているのだと、思えて仕方なかった。
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