真実の永眠

-後編-

 ガチャリと、玄関扉の鍵を開ける優人を、黙って見つめる。扉を開けると優人は、
「どうぞ」
 こちらを向いてそう言った。
 開けた扉が閉まらないように押さえながら、先に部屋へ入るように促す。
「あ……私は後でいいから……優人が先に入って」
「いいよ。先入って」
 優しい笑顔を向けられて、私は「じゃあ……、」と呟き、先に玄関へと入り込んだ。
「お邪魔します……」
「うん」
 靴を脱いで上がったはいいが、室内は真っ暗だったので、そこから一歩も動けずにいた。後方からカチッと電気を点ける音が聞こえてきたけれど、予想された明かりが灯る事はなく。
「あ、そうだ。玄関の電気切れてるんだった。部屋の電気点けるからちょっと待ってて」
 優人はそう言って、靴を脱ぐとすぐに部屋の電気を点けに行った。点灯されたお陰で、視界がハッキリとする。
「見える?」
「あ、うん」
 暗い玄関に未だじっとしている私に優人は尋ねてきたから、簡単に返事をした。
 玄関を入って右手に洗濯スペースがあり、左手にお風呂とトイレ、その少し離れた場所にキッチンがあった。水回りスペースと部屋を仕切る扉は開け放たれており、私は遠慮がちに部屋へと入った。
 部屋には必要最低限の物しか置いてなくて、優人らしい部屋だと思った。
 角にテレビが置かれていて、部屋の中心からやや左に寄った位置に炬燵がある。右隅には寝具、本棚など、それくらいだった。お洒落着はきちんとハンガーに掛けられていて、部屋着は炬燵の横に散乱している。
 私は部屋を入ったすぐの場所で立ち尽くし、キョロキョロと部屋中を見渡していた。
「適当に座って」
 そんな言葉を掛けられて、私は炬燵に入る事にした。
 ちょこんと座り、また部屋をキョロキョロとしてしまう。
 優人は何やらキッチンの方へ行き、カチャカチャと音を立てていた。
「レモンティー飲める?」
 キッチンから優人が尋ねてくる。
「あ……うん」
 緊張し過ぎて、先程からこんな返事しか出来なくなっていた。
 優人は飲み物を入れてくれていたのか。さっきからカチャカチャと何の音だろうと思っていたのだが、そういう事らしい。
 私は、優人が来るまでじっと待っていた。
「はい」
 両手にマグカップを持って部屋へ戻ってきた彼は、それをテーブルの上にコトッと置いた。
「ありがとう」
「熱いから気を付けて」
 優人はそう言うと、炬燵に入ってきた。
 私は頷いて、両手でそっと、レモンティーの注がれているマグカップを抱えた。温かい。
「いただきます」
 優人が頷いてくれたのを確認してから、私はレモンティーを一口飲んだ。
「美味しい……」
 温かくて、甘さも丁度良くて。
 私はコップをテーブルに戻し、羽織っていたコートを脱いだ。畳んで傍に置こうとすると、
「あ。皺になるから掛けておくよ」
 優人は言うなり立ち上がって、ハンガーを取り出してきた。
「貸して」そう言ってこちらに手を差し出してきたから、
「自分でやるからいいよ……!」
 私はそう言った。
 彼の家とは言え、こんな事まで彼に任せきりではいけないと思った。だけど彼は、
「ううん、いいよ。貸して」
 そう言うものだから、私は結局彼に甘え、コートをそっと手渡した。
「ありがとう」
 お礼を言って。
 畳んだコートを綺麗に広げてハンガーに掛けてくれている優人を、ぼんやりと眺めていた。優人はそれを、壁に取り付けられたフックに掛けてくれている。彼の服と一緒に並べられているそれを見て、何だか嬉しくなった。
「あれ?」
「え?」
「ポケットに何か入ってる?」
 優人は私のコートを指差しながら尋ねてきた。
「あ、そうだ。携帯入れたままだった」
「出しておく?」
「うん。あ、自分で出すからいいよ……!」
 私が慌てて立ち上がろうとすると、
「いいよいいよ」
 そう言って優人は、コートのポケットから私の携帯電話を取り出し、テーブルの上にそっと置いてくれた。
 自分は座ったままで彼に何でもさせてしまった事に申し訳なくなって、少し俯いた。
 優人はまた炬燵に入る。
 顔を上げて優人を見ると、彼はたった今テーブルに置いた私の携帯電話をじっと眺めていた。文字通り、じっと。
 こちらの視線には恐らく気付いていない。
 彼は携帯電話を手に持ち、それをひっくり返したり色んな角度から眺めている。折り畳まれた電話を開いてしまうのではないかと思うくらい、彼は真剣にそれを見ていた。
 私は電話と優人の顔を交互に見た。何か声を掛けた方がいいのだろうか。
 彼の表情、動作共に見ていたけれど、そこから彼の思考は全く読めなかった。
「……携帯変えたの?」
「うん」
「……」
「……?」
 彼は一通り見終わると、少し俯き加減になった(……ように私には見えた)。ただ、意味などなく下を向いただけなのかも知れない。
 彼の言葉や行動、表情が何を意味しているのか分からなくて、だけど、それを考える事も私はしなかった。
「!」
 突然鳴り響く携帯電話。
 それは私の電話ではなかった。
「――もしもし」
 電話が掛かってきたらしく、優人は電話に出た。
 その光景に瞠目する。光景、というよりも、優人の握る携帯電話を見て。
 それは……その携帯電話は。
 酷く驚いた。だって、だってまだ……。
 ……持っていてくれてたんだ。茶色の、携帯電話を。私とお揃い“だった”。
 私が今持っている、優人が先程じっと眺めていた携帯電話は、もう、優人とお揃いである水色の携帯電話ではなくなっていた。先刻の言葉通り、二ヶ月程前に変えてしまったのだ。
 優人があの携帯電話を、今でも持っているとは思わなかった。優人が見せた先程の何とも表現しがたい表情は、その所為だと思ってもいいのだろうか。勝手に解釈して嬉しいと思ってもいいのだろうか。
 私は優人を見た。
 電話を掛けて来た相手は、彼の友人なんだろう。優人は楽しそうに受け答えしている。
「――俺? 今は遊んでるよ」
 今何してんの? そんな事を尋ねられたのだろう。
 楽しそうな優人を見ていると何だか微笑ましくなって、私はニコニコしながら彼を眺めていた。
 それに気付いた優人は破顔した。
「……それは秘密。……まぁいいじゃん」
 優人の様子を見ると、あれは恐らく“誰と遊んでるのか”を尋ねられている。だけど優人は、はぐらかして“誰と”遊んでいるのかを言わなかった。
 友達って言ってもいいのだけれど、気を遣ってくれているのだろうか。……私が優人の事を好きだから。それとも。
 まさか、友達以下……?
 寂しい事だけれどそれもあり得る。私達がする会話の殆どはメールで、こうして会った回数は、五回もない。
 友達ですらない私は、一体何なのだろう……。
 私は優人を見た。
 彼の楽しそうな笑顔。私が笑った事で、更に笑ってくれた彼を。
 負の感情が私の表情を曇らせかけたけれど、そんなもの、やっぱり優人の笑顔には敵わない。優人の笑顔を見られる事が、一番の幸せだ。
 そう思って、優人を眺めながら私は笑った。
「――ごめん、携帯の電池切れるからまたね」
 優人はそう言って、早々と電話を切った。
 その台詞に、私は声を出して笑った。
「ふふ、切っちゃって良かったの?」
 彼の携帯電話は、実はしっかりと充電中である。電池が切れる事は絶対にない状況であったにも関わらず、彼は友人からの電話を、理由を付けて切ってしまった。
「いいよいいよ」
 優人はそう言って笑っていた。
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