真実の永眠
07話 溜息
 彼、――桜井優人君とメールをするようになってから、一週間が経とうとしていた。
 今日の天気は、嫌いだ。
 ベッドに寝転がり、見上げた空は、外に出る事すら億劫にさせられる、真っ黒な雲に覆われていた。雨は降っていないようだけれど、今にも降り出しそうな、けれど何処かそれを躊躇うような、そんな天気。
 今日の天気は、嫌いだ。
 どうせなら、外に出るのを諦める程の雨を降らせて欲しい。それか、綺麗に晴れ渡った青い空を見せて欲しい。
 そんな事をぼんやりと思いながら、仰向けに寝転がった身体を、横に向けた。
 彼とのメールは、今の所順調で、彼と話していると、凄く心が温かくなる、本当に優しい人、そう思わせる程に私の心を満たしていった。
 楽しくて、嬉しくて。
 好きになって、彼に会えて、本当に良かったと思えるんだ。
<名前、何て呼んだらいい?>
 先日彼からそう尋ねられたので、
<何でもいいよ。桜井君の呼び易い呼び方で>
 と返した。
<じゃあ雪音って呼ぶね>
 そう言われた事に、ただ、嬉しかった。これだけの事が嬉しくて幸せで、夢なんじゃないかと思った。
 それに男の子に名前を呼び捨てされるのは初めてだったので、酷くドキドキした。人見知りの所為であまり人との馴れ合いがなく、特に男の子と話すなんて出来なくて、男友達すらいなかったんだ。
<俺の事は桜井君じゃなくて、優人でいいよ>
 続けられたこの言葉に、幸せ過ぎてくらくらする、本気でそう思った。
<じゃあいきなり呼び捨てもなんだから、優人君って呼ぶね>
 呼び捨てする事に慣れていないから、そう返信した。
 それから二・三日して、彼とのメールのやり取りの途中、
<本当に“君”なんか付けなくていいし、優人でいいよ>
 彼――優人がそう言うものだから、それからは呼び捨てにする事にした。
 彼女、いるんだよね? そう思わなくもなかったが、これで少しでも二人の関係がいい方向へと変わるなら、これでいいと、これがいいんだと言い聞かせる事にした。
 ――彼女。
 そう、優人には彼女がいるのだ。私の知らない、優人の彼女。優人の彼女だなんて、羨ましい。優人に想って貰えるなんて、どれだけ幸せな事だろう。
 そんな気持ちは勿論あったけれども、彼女に対する嫉妬や憎悪は、今も、そしてこれからも抱く事はなかった。
 彼女の話題を互いに口にする事すらしなかった。
<彼女がいるって聞いたんですけど、メールしてもいいんですか?>
 この一言を、除いては。
 これは、優人とメールを始めた日に訊いた事だった。
<うん、彼女はいるけど、メールする事まで禁止されてる訳じゃないから>




 優人とのメールのやり取りをそこまで振り返ると、大きく溜息をついた。
 彼女がいる事を偽らない優人の肯定に、優人らしく感じながらも、やはり私の心は複雑だった。
 優人にそう尋ねたのは、彼女に対する遠慮と申し訳無さ、その気持ちに嘘はないけれど。心の何処かで、彼女がいる事が真実か、そして優人の彼女に対する気持ちを、確かめたかったのではないか。
 初めから真実を知っていながらそれでも嘘であって欲しいと、あんな彼女なら冷めてしまっていればいいなんて、自分は思ってしまっていたのではないだろうか。
 なんて最低なんだろう。
 私は溜息をついた。
 承知していただろう。承知の上で優人とメールする事を、好きでいる事を選んだんだろう? 今は自分の存在を知って貰えるだけで、優人と話が出来るだけで。たとえ彼女がいても、彼女が好きだとしても、私は優人の気持ちを一番に考えながら好きでいよう、応援しよう。邪魔はしない、優人の幸せを一番に考える。
 もしも――もしも優人の幸せに私が邪魔なら、私はいつでも身を引く勇気を持っていなければ。
 そう覚悟を決めて、純粋に好きでいようと決めたばかりではないか。
「はぁ」
 本日何度目の溜息だろう。
 再び仰向けになり、何だか自分の心境を絵にしたような空に、再び目をやった。









 音。
 音が鳴っている。
 携帯電話の着信音だ。
 その音に気付いて、私は閉じていた目を開けた。
 どうやら思考を繰り返す内に寝てしまっていたようだ。
 今、何時だろうか。
 ベッドに沈んでいた身体を起こす。部屋が暗くなってしまっているから、恐らく十九時を回ってしまっているだろう。
 六月半ば。日が長くなっているとは言え、今日はこの通りこんな天気だ。昼間から薄暗い空だったのだから、夕方過ぎには殆ど暗くなってしまっていただろう。
 取り敢えず電気を点けて。
 点灯された室内の壁掛け時計に目をやった。それは二十時を指している。時間を確認し、先程鳴った携帯電話を開いた。
<雪音ちゃん、次の日曜遊びに行かない? 市内の方まで>
 麻衣ちゃんからのメールだった。
 来週の日曜は確か……。壁掛けカレンダーを見ながら、来週は予定が入っていた事を確認する。
<ごめんね、来週は予定が入ってるから行けない>そう返信しようとした丁度その時、麻衣ちゃんから電話が掛かって来た。
「……はい」
『あ、雪音ちゃん? ごめんね、急に電話して』
「ううん、いいよ」
『来週の事なんだけど、実は日曜、うちの彼氏ね、部活があるらしくて。それが終わったら会おうと思ってるの。彼氏が部活終わるまでは市内で遊ぼうと思ってて』
 うん、と相槌を打ちながら麻衣ちゃんの話を聞く。
 麻衣ちゃんの彼や優人の通うT高校は、市内にある。
 汽車通学の彼らは、市内のT駅を利用している。だから麻衣ちゃんは、T駅周辺で遊ぼうと提案してきたのだ。
『それでね、彼氏が、“桜井も一緒に連れて行こうか? そうすれば、雪音さんと桜井も会えるじゃん”って!』
「……え?」
 麻衣ちゃんの言葉が一瞬信じられなくて、言葉が出なかった。
『雪音ちゃん?』
 返事をしない私を不思議に思ったのか、麻衣ちゃんが声を掛けて来た。
「え、あ、ごめんね。麻衣ちゃんと彼が会う時に、彼が桜井君も一緒に連れて来て、私に会わせてくれるって事?」
 本当は優人って呼んでいるけれど、何だか麻衣ちゃんの前で優人と呼ぶのは気恥ずかしく“桜井君”と言ってしまっていた。
 まぁそこはどうでもいい。今はそんな事重要じゃない。
 麻衣ちゃんの言葉を理解はしているものの、何だか信じられなくて、ゆっくり復唱するように確認してしまっていた。
『そうそう! 雪音ちゃんも桜井さんに会えるチャンスだしさ! 遊びに行こう』
 行きたい、絶対に……!
 でも、来週は……。どうしても外せない予定が予め決められている。
 行きたい、会いたい、けれど……。
「ごめんね。来週の日曜は予定が入ってて……」
 何でこうなるのだろう。何で折角会えるかも知れない時に予定なんか入ってるのだろう。
 麻衣ちゃんに返事をしながら、自分のスケジュールを無意味に恨み、そして更には、カレンダーまでもを無意味に睨んでいた。
『えー! 折角会えるかも知れないのに~……』
「……うん、私も会いたいけど……」
 無理なものは、仕方がない。来週の予定は、どうしたって外せそうもないので。
 会いたくて。
 会いたくて、折角会えるかも知れないのに、会えないなんて。何だか上手く行かない自分に苛立ちや焦燥感みたいなものを感じて、私は泣きそうになってしまっていた。
 メールで話は出来るのに、想いは何だか空回りで。今日は何だかずっと切なく憂鬱な気分だった。
『……でも、予定が入ってるなら仕方ないよね。また都合つく日に一緒に遊ぼ』
「うん、ごめんね……」
 残念そうに言う麻衣ちゃんに、私はそれだけしか言えなかった。
 電話を切ると、私はまたベッドに身体を沈ませた。枕に顔を埋める。
「ご飯出来たよー」
 キッチンから母の呼ぶ声が聞こえる。
 私は適当に返事をした。
「はぁ……」
 本日、何度目の、溜息だろう。









 日曜、結局麻衣ちゃんは、理恵ちゃんと遊びに行ったのだそうだ。
 部活を終えて駅までやって来た麻衣ちゃんの彼・松田学さんと、理恵ちゃんの片想いの相手・畑村和也さんと。
 そして――私の好きな人、優人と、合流したのだそう。
「雪音さんは来てないんだ?」
 会えるチャンスを逃した事で切なく寂しい気持ちを抱きながら、今日の予定に忙しくしている私が、そんな優人の言葉を知ったのは、翌日だった。麻衣ちゃんが楽しそうに教えてくれたのだ。
 それに喜んだのは、言うまでもない。
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