真実の永眠
55話 真実
 それ はあなたの中にだけ隠されたもの。
 そして それ はあなたの中で、そっと目を閉じた。











 終幕を迎えたあの日から、三ヶ月という月日が流れた。
 三月も中旬に差し掛かり、寒い日は続くものの、春らしい陽気は確かに訪れていた。もうすぐ、桜が咲き始めるだろう。
 私の心は少しずつではあるが回復の兆しを見せ、優人への恋慕はまだ微かに残っているけれど、確実に前進はしていた。思い出に出来るまで時間は掛かるだろうけれど、振り向かないと決めた。
 今日は友人――理恵ちゃんと食事をする約束をしていた。記憶を辿り、理恵ちゃんと会うのは二年振りだと気付いた。そうか、高校卒業以来会っていなかったのか。
 十三時にファミレスで待ち合わせをしたが、私は十五分も早く着いてしまった。外で待つには寒いので、私は先に店内に入り中で待機する事にした。
<ごめん、十分程遅れるかも知れない! ほんとにごめん!>
 ぼんやりと外を眺めていたら、理恵ちゃんから遅刻するという報告のメールが届いた。あと二十分は待たなければいけないのか……一人寂しいやつだと思われないだろうか。
 ふぅ、と小さく息を吐く。その時、
「――雪音ちゃん?」
 声を掛けられた。
 どう考えても理恵ちゃんの声ではないその声に驚いて顔を上げると、そこには同年代の男が立っていた。そう、女でもない、呼んだのは男だったのだ。
 誰? 私に男性の友人などいないし、だけど私の名前を知っているから知り合いではあるだろうが、覚えがない。
「え、雪音ちゃんだよね? 俺の事覚えてない?」
 きょとんした顔は、「誰だこいつ」という感情を隠す事なく表しているのだろう。眼前に立つ男は笑いながらも少々焦っていた。
「ごめんなさい、覚えてないです……」
 正直に告げると男は「マジかー……」なんて言っている。本当に誰だろう。けれどその疑問は、次に発せられた言葉ですぐに解消された。
「あの~、麻衣の元彼で優人の友達の……、」
「あっ、……中本さん!」
「そうそう」
 そうか、私の事を知っている筈だ。私は忘れていたけれど……。まぁ過去に二度しか顔を合わせていないから、忘れていた事に何の罪もないだろう。
「一人なの?」
「いえ、友達と待ち合わせしてて。中本さんは?」
「俺はあいつらと一緒にご飯食べてた」
 言いながら“あいつら”の方に顔を向けたので、私もその視線を辿った。そこには中本さんの友人だろう、二人の男が談笑しながら座っていた。
「店内に入ってきた時から、あれ雪音ちゃんじゃないかな~って思ってたんだよ。やっぱり合ってたな」
 そう言って中本さんは笑った。
 そうか、中本さんも優人と同じ短大に通っていたから、この辺で会っても不思議ではないんだ。でももう卒業はしている筈。まだこの辺に住んでいるのだろうか。あ、違う。中本さんは実家から通っていたんだっけ。
 思考を巡らせていると、
「彼氏とか出来た?」
 何だ突然。
「いえ、……全然……」
 正直に答えた。彼氏どころか、私は……。寂しさに俯いた私を見て、中本さんは少しばかり驚いた声を上げた。
「まさか……優人の事まだ……、」
 察しのいい中本さんの言葉に、私は苦笑を漏らす事で返事をした。中本さんならこれですぐに分かっただろう。
「キッパリ振られたんですけどね」
 そう言って笑うと、中本さんは無言で私の向かいに座った。え、何で座るの。“あいつら”の所には戻らなくていいのだろうか……。その“あいつら”を見やると、彼らは「おい何やってんだあいつ」と言いたげな視線を中本さんに送っていたが、生憎当の本人は“あいつら”に背中を向けて座っている為、その視線は届いていない。
 というか、ここに居座るつもりなのか。まだ理恵ちゃんは来ないから問題はないけれど。
「――優人って、」
 その名に、まだ胸がズキリと痛む。私は無言で続きを促した。
「ほんと、何考えてるか分かんないやつだったよな」
 寂しい言葉だ。仲が良かった友人からこんな言葉が出るなんて。
「……でも、優人とは仲良かったんですよね?」
「うん、仲は良かった。でも正直、俺も知らない事多かったな。あいつほんと自分の事全然話さないやつだったから」
 いい奴だけどな、と言葉を続けた。
「そうなんですか……」
 だったら、だったら優人は、一体誰に心を開いていたのだろう。開く事の出来る友達が彼にはいたんだろうか。どうしてそこまで、心を閉ざして――……。
 僅かな沈黙。コップの中の氷がカランと鳴った。
「でも俺、優人は雪音ちゃんの事好きなんじゃないかって思った事あった。――分からんけどね」
 えっ。私はバッと顔を上げた。
「何でっ……そう思ったんですか……?」
 憶測に過ぎない言葉。中本さんが語ったところで、私がそれを聞いたところで、確かなものは得られないのに。もう何も見えはしないのに。それでも、理由が聞きたかった。
「うーん……、決定的な何かがあった訳じゃないし、本人が言った訳じゃないから、何となく、としか言えないけど……まぁ、何となく、だな」
「でも、何となくでも、そう思った場面があったんですよね?」
 聞かせて欲しい、何でもいいから。
「場面、場面かぁ……」
 中本さんはそう呟きながら、顎に手を当てて考え込んでいた。この場合、思い出そうとしていた、が正しい。私はドキドキしながら、次の言葉を待っていた。
「あっ、あれだ。あの~……、ほら! 麻衣と雪音ちゃんが俺ん家遊びに来た時とか?」
「あ……覚えてたんですね」
「えっ!? ひどっ! 俺の記憶力バカにしてる!?」
「ふふ、ごめんなさい。そういうつもりじゃなくて……。結構前の事だから……覚えていたとしても、思い出す事はないんじゃないかって思って」
「うん分かってるよ。でも酷いな~、俺は雪音ちゃんの顔も覚えてたのに。寧ろ俺の顔忘れたのは雪音ちゃんの方だし」
 言いながらも中本さんは笑っていた。
「ごめんなさい、私顔覚えるの苦手なんです」
「まぁいいや。話戻るけど、好きっぽいって思ったのはやっぱその時かな~。好きっぽいって言うか、意識し過ぎというか……」
 中本さんはどこか遠くを見つめながら言った。きっと見つめている先は、中本さんの言う“その時”なのだろう。私も同じ場所を見つめ、考えた。
「私は寧ろ、嫌われてると思ってました」
 考えた末出した結論は、昔と変わらずそれだった。
「えー? 嫌ってたとしたらあからさま過ぎるだろー。」
「……」
 そう、なのかな。そうかも知れないけれど、嫌いな人への対応なんて千差万別だ。心理学者でもないから、行動でヒントを得る事も不可能。それにもう、過ぎた事だ。
 だけど、当時の優人をある意味では一番近くで見てきた者同士だ。どちらか一方が正しいという事ではないだろうが、二つに一つ、なのかも知れない。やはりもう、知る術などないけれど。
「優人とは、今でも仲良しなんですか?」
 話題を変えた。何を話しても、やはりもう何も分からない。中本さんは私の質問に対しこちらを見たけれど、またすぐに別の方向へ視線を向けた。
「んー、悪くはない。けど、短大に入ってからお互い友達が変わったからなぁ。会ったら話す程度」
「そうですか……」
 環境の変化は、私達に多大な影響を及ぼす。その中で優人は、変わってしまったんだろう。中本さんは何だか変わらないな。
「……てかあれ、」
「?」
 そう言って中本さんは、視線を私の背後に移す。私もその視線を辿り背後を振り返ると、
「あ」
 カウンター付近で何やらこちらの様子を伺っている理恵ちゃんの姿があった。それを視認した私はすぐに立ち上がり、理恵ちゃんの元へと歩いて行く。
「雪ちゃん! ごめんね遅くなって……てかあれ、裕也さん?」
 中本さんを一瞥した理恵ちゃんは、コソコソと話し掛けてくる。
「うん、中本さんの事知ってたんだね」
「うん。麻衣ちゃんの元彼だよね? 近くで見た事はなかったんだけど……てかなになに? 彼氏?」
「ふふ、まさか。――取り敢えず座ろう」
 私達は今まで私が座っていた席へと移動する。席の近くまで来たところで、中本さんは漸くこの場から離れようと立ち上がった。
「ごめん、話途中だけど、俺行くわ」
 そう言ってひらひらと手を振る中本さんは、“あいつら”の所に戻って行った。彼はこれから仲間達に質問攻めに遭うのだろうな、なんて頭の隅で考えた。
「ああ、裕也さんも友達と来てたんだね」
 仲間の元へ戻る中本さんを見ながら理恵ちゃんが言う。
 私もこれから理恵ちゃんに質問攻めに遭うだろう。何と答えようか。優人については伏せたい。理恵ちゃんにとっても、それはもう、過ぎた事だから。そんな事を思考しながら座りかけたけれど。
 ――そうだ、最後に。これだけは――……!
「中本さん!」
 座ろうと下ろした腰を再び上げて、私は少し大きな声で中本さんを呼んだ。中本さんは驚いた顔でこちらを振り返る。
 最後に、聞きたい事が……。
「――……優人は、保育士に、なりましたか――?」
 私の問いに、中本さんはその顔に笑みを浮かべて頷いた。
「四月から、保育士じゃないかな」






 叶えたその姿を、見たかった。
 だけどもう。
 それで、十分だ。













 それ はあなたの中にだけ隠されたもの。
 そして それ はあなたの中で、そっと目を閉じた。







 本当は。








 目を閉じたそれ――真実が、








 目覚めて欲しいと、








 願った。








 答は、一人一人異なって。確かなものなど、もう見えはしないだろう。
 ――真実は他に、ある筈なんだ
 なんて、思ってもみたけれど。
 隠された真実こそが、私達の真実。
 真実の一歩手前であるが故に、何もかもが、美しくある。








 私はもう。
 振り向かないと決めた。
 全てはあなたの中に。
 全ては思い出の中に。
 全てはこの大地の中に。








 美しい、世界の中に。








 どうか、安らかに








 真実よ、








 眠れ。
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