とある夢追人の物語
わがままな私
私は1人っ子


そして 母子家庭


母とじぃちゃん、ばぁちゃんと住んでる。

たまに、いとこの母の弟がくる。


私はとにかくわがままだった。


人に好かれる性格はしてない。


だから、幼稚園の頃も友達は2人。


変わってたのもあったかな。


みんなが、遊ぶような事をしなかった。


まっ母子家庭ってのもあったんだけどね。父がいないから、周りのお母さん達が子供に言ってのかもしれない。


私は「家泣き子」ってドラマにハマった。

勿論3、4歳がみて理解できる内容ではないよね(笑)


でも なんとなくわかってた。
そして安達祐実さんにも憧れていた。


「同情するなら金をくれ」って
幼稚園児の私がお遊びの時間に幼稚園の体育館のステージに登って叫でた。


みんなポカーンって感じだったけど。


そんな事ばかりしてたしとにかく変わってたからいつも1人だった。


クラスが違う人と唯一、母同士が友達で家に遊びに行ったりしてたけど。


…2人違う事して遊んでたね。(笑)


私は、組み立て系の遊びをしてて友達はおままごと。


集団行動とか人と同じ事がその頃から出来てなかった。

幼稚園では鼓笛隊って言うのをやってたの。

マーチングみたいなやつかな。
リードする人がいて、それに合わせて太鼓、ピアノなどがついていく。


私は太鼓だった!!


でも、練習の時 何か嫌で、何でやらなきゃならないのかわからなくて。

なんどもトイレに逃げ込んだ。


とにかく"やりたくない"って思った。


わがままだと思うけどね。


でも、なんとか練習して大会にも出た!


その時はなにも考えてなかったけどね。

家族の都合で、道内の都心近くに引っ越す事になった。

そこに引っ越して、始めて"家から出たくない""母と離れたくない"と思った事が起こる。

引っ越して約二年間もなかったかな…

保育園に移った。


そこは、今思えば地獄。
子供にとったらトラウマレベル、
凄く最低だって思えるけどあの時は意味がわからなかった。


そりゃ、4歳5歳なんてわからないよね?


なにがあったか。


その保育園に年長さん担任の先生がいた。
その人は、自分の好きな子にばかり世話をした。


途中から来た私は放置だった。

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