あいなきあした
無限のような数秒が過ぎて、俺は…
「俺のラーメンはまだコピーにもなっていませんし、狙っている客層も男性のサラリーマンと学生です。この味は出せません…」
この物件欲しさにひとつ嘘でもついてやろうかと思ったが、このじいさんはまごうもなき本物だし、この味とやり方が通じなくなってきている事を、痛いほど肌で感じているのだろう…。
値踏みされているのだから、今あるスキルで勝負するしか、ない。
「俺も材料を持ってきたんで、一杯、いいですか?」
「望むところよ。」
はじめて、俺の厨房になるかもしれないこの場所に足を踏み入れ、お互いの位置を交換する。バッグに詰めてきた食材を置き、小鍋に注いだスープを温めなおす。麺をタイマーで茹でるかたわら、具材を携帯用バーナーであぶる。
俺の(なんて偉そうな事は言えないが)ラーメンはあくまで男性のサラリーマンや学生をおなかいっぱいにしてやりたい主張は崩さない。
じいさんが使っているような国産の小麦粉は、いつかは使ってみたいが、配合や水加減が難しい。なにより歯ごたえや食べ応えを優先したいので、普通はパンに使う強力粉を中心に混ぜる。好みにもよるが、これを使えばごわごわとした強い食感が出る。
俺が修行した店はざるそばのようにして食べる、つけそばの超有名店なので、看板をしょって立つこともあり、基本のレシピは崩さないが、駆け出しの俺の最大限の冒険は、この麺の存在感にあった。
じいさんの湯切りとは違い、タイマーに追われたぎこちないそれは、じいさんの眉を一瞬ひそめさせた。具材を飾り、今の俺の素性そのものの一杯をじいさんに膳する。
じいさんはいぶかしげに、スープ、麺、具材を確かめるように食していく…。
「これじゃあ、半分で食い飽きちまう…何より、毎日は食えねえよ…」
俺の淡い期待は、じいさんの匠の味とも言えるラーメンには触れることも出来ないのか…開店までのまた長い道のりを思うと、大の大人といえど心もとない気持ちに溺れていく…。
「いや、否定しているわけじゃねえ。これは、いまどきの味、客が求めている味だ。わかるぜぇ。」
じいさんは自分を納得させるような面持ちでつぶやく…
「よし、契約成立だな。ただし、いつでも戻れるように店の改装は禁止、好きなときに味見に来て、味が落ちたらすぐに解約だ。」
じいさんは、不動産屋から聞いた格安の家賃より、想像もつかない程低い家賃を提示して、
「人が作ってくれた料理で飲めるのは、馬鹿馬鹿しいほど幸せなもんだぜ。」
俺の持ってきた残りの具材をつまみに自分の店のビールを1本、あっさりと飲み干して去っていった。
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