愛を待つ桜
「聡さん! 出て行くなんて……勝手にそんなこと」

「あそこまで言われて、黙って頭を下げる気か! 君にはプライドはないのか?」

「プライドはあります! でも、やっと入れた保育園なのよ。園にも駅にも近くて、家賃も安いんです。くだらない意地のために、悠にこれ以上辛い思いをさせるわけにはいかないわ。第一、私はあなたの妻じゃありません!」


聡の言葉はハッタリもいいとこだった。


「だから、1日も早く結婚すればいい。金のことで悠に辛い思いはさせない。そう言ってるだろう。それに逆らうのは、くだらない意地じゃないのか?」


如月家のような家庭を持ちたい、という夏海に、聡は結婚によるメリットしか提示しない。
それが的外れであることに気付いていないのだ。


「私は、楽な暮らしがしたくて、ああ言ったんじゃないわ。――高給取りでなくてもいい、真面目に働いてくれる人ならそれでいいの。足りない分は私だって働く。……悠の父親になってもいいって人じゃなくて、あの子の父親になりたい! そう言って欲しいだけよ」


本当はもうひとつあった。

ただ、愛して欲しい。

偽りなく、自分だけを愛して欲しい。

でも、その言葉を口にできるはずもない。


「収入が多いのは勘弁してくれ。君が働きたいと言うなら止めはしない。双葉さんも子供を3人育てながら仕事を続けている。如月にできる協力が、私にできないはずはない」

「聡さん?」


これまでとは違う聡の口調に、夏海は驚いた。


「如月に言われたよ。3年前の出来事に行き違いがあるんじゃないか、と。そうかも知れない。私が君と別れて、すぐに他の女性と結婚したのは事実だ。一番苦しいときに、側にいてやれなかったのも。すまないと思ってる。言い訳ならできるが……もう、止めにしないか?」


夏海は聡の言葉に眩暈がした。
立っていられず、数歩後ろに下がって、キッチンの椅子に座り込む。

強気で押されたら、言い返すこともできる。
だが、まるで飴と鞭のようだった。


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