絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ
の勧めにも、
「こんな高いの買えないよ」
 と笑いながら正直に言う。
「そんなことないわ、榊先生が買ってくださるわよ」
「今言おうとしたところ」
「えっ、もう、皆お金もちだからって庶民をバカにするのはやめてよね。いいわ、試着だけでもしてみます」
 そのムキになる様子に2人とも大笑い。
 阿佐子が似合うと渡してくれたタイトなドレスは、真っ白の長い生地に白いバラの刺繍が入っている。……結婚式でもないし……もちろん社員総会でも着れない。
「着てみたけど……」
 試着室から出るなり、阿佐子は笑う。
「ちょっと衣装負けしてるわね」
「そんなことないよ」
 制してくれるのは、優しい榊。
「でもこんな服、買ったって着ていくところがないよ」
「そう? 家で着ればいいじゃない」
「庶民はね、家ではティシャツにジーパンなの」
 言うだけ言って、ふいっと再び試着室に入る。また2人は笑った。
 もちろん本気で怒っていたわけではない。そんな関係こそが3人の在り方だと感じられ十分に楽しかった。
 むしろ、この関係が一番楽しいと思えるような時間だった。
 その後、とりあえず映画に行って。次のディナーまでの車内で、面白くなかっただの、展開が分からないなどの散々な評価をした。
 時は5年以上を過ぎている。
 だからと言って、この関係が以前と同じように機能したわけではない。ただ、それ以上の何かを生み出したような、そんな貴重だと思える時間であった。
 自分と、阿佐子と、榊の3人でなければこの瞬間はなかったと思う。
 ああ、やっぱりこの阿佐子という人は凄い人だと思った。
 幼少の頃、きっと丁重に丁重に育て上げられたであろうことが、端々に見え、今のお転婆ぶりに苦笑するのだが、それがこの、樋口阿佐子という人を形成しているのであって、ちっとも不思議ではなく、勿体無いわけでもない。
 阿佐子行きつけの店での期待を裏切らないディナーの後、バーでのダーツもどうにかこなし、彼女はついにタクシーで眠った。車は駐車場に置き去りにしてきたが、すぐに家の者が取りに来るだろう。代行よりもその方が遥かに良い。
 静かな車内、3人は後部座に並び、香月は横になる阿佐子の長い髪の毛を撫でながら、
「なんか今日の阿佐子、いつもよりはしゃいでたね……」
 今日の一日と、今までの数年を思い出しながら榊に確認した。
「ああ、そうだな。久しぶりに見たけど、元気そうで良かった」
「いつぶりくらいだったの?」
「一年……くらいかな。だから、ロンドン行く前に会ったのが最後だから。ロンドン行きますって報告に行った。そしたら、「その間に私が死んだら、あなたのせいにするわ」って(笑)」
「……素敵ね」
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