絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅱ

黒髪の美人

 さて、東都本店に200人も従業員がいるうちの、なにも香月ばかりが目立つ存在ではない。近くにいる玉越だって大人の女としての存在感は十分にあるし、永作も独特の可愛らしい匂いを醸し出している。
 何も女性ばかりではない。男もそう。矢伊豆の主婦ウケはもう今やどこに行っても当たり前だし、香西もそれなりに人気がある。
 そんな中で、若い寺山美一(てらやまよしかず)は男女を問わず20代に抜群に人気があった。中学のあと5年の専門校を出て、入社3年目の22歳独身。黒く少し長い髪は後ろで束ね、前髪をさらりとたらした男前。背が高く、肉付きもいいことから容姿が特に受ける。仕事の方はもちっと真面目に取り組んでくれたらいいんだろうが、若さあってか、イマイチ信用はおけない。指名客のほとんどはその容姿と、今すぐ食事に誘っても乗ってきそうな明るい性格で、若い女性客がほとんどだ。その中の一人を誘ったとか誘われたとか、あるいは、従業員の一人を誘ったとか誘ってないとか、噂を通り過ぎて日常の会話になり、今では誰も気にしない。
 そんな寺山と香月がどのタイミングでどのように密接するかなど、誰も考えてはいなかった。
 全く不思議ではない。香月の方が幾分か年上ではあるが、気にするほどでもないし、ましてや2人は独身だ。

 その日、香月愛は、スタッフルームの隅で一人で食事をとっていた。基本的に勤務中は外へ出てはいけない。食事、休憩はスタッフルームの中で、というのが暗黙の了解だ。つまり、少し離れたところに、佐伯や西野が見えたが、その中に入ろうと思わなかった。実は、今しがた香西に叱られたところである。叱る、というほどのことでもなく、ただの注意、に過ぎたのかもしれなかったが、滅多に注意されない香月からすれば、少しのことが大きく響き、しばらく反省しているのであった。
 特に、香西が来てからその頻度が高い。自分は教育されているのだ、そこをちゃんと見失わないように、彼の指導についていく。それが、今の自分に一番大切なことだと、信じている。信じているのだが、一旦落ち込むと、お気に入りのジュースを買ったところでなかなか気分が盛り上がるわけではない。
 香月は予定していたパン食をとりやめ、ロッカーから引っ張り出してきたスナック菓子で昼食を済ませることに決めた。
 50分、反省して、気分直しに菓子とジュースで盛り上がろう。
 そんな時であった。
 初めて寺山が話しかけてきたのは。
 彼は長テーブルに並ぶ、椅子を一つあけて隣に座ると、持っていた缶コーラをコトンと置いた。
「香月さん、昨日、ありがとう」
「え……」
 目を丸くさせて彼を見つめる。あぁ、ほんとに近くで見てもイケてる。
「昨日、じゃなかったかな。一昨日。展示品包むの手伝ってくれたって聞いたから」
「えーと、テレビでしたっけ。52型」
< 45 / 202 >

この作品をシェア

pagetop