三日月の下、君に恋した
「だったらどうして」

 冷たい雨が降り続く。湿った空気が肌を冷やしていく。

「理屈じゃないんじゃないかしら」


 雨に濡れた公園の木々を見つめながら、彼女は言った。


「そうとわかっていても、あきらめきれないことってあるでしょう。それが自分にとって何より大切なことだったなら、なおさら」

 彼女はそれきり黙りこみ、菜生も質問するのをやめた。


 社長にとってそれは、大切なことだった。


 でも、その大切なことが、なぜ知られたくないことなんだろう。


 社長の経歴には、絵画に関する記述がひとつもない。趣味で絵を描いていたという話も聞かない。隠しているとしか思えない。


「沖原さんは、自分が死ぬときのこととか、死んだあとのこととか、考えないでしょう?」

 いきなり深刻な質問をされて、菜生はどきっとした。

「ごめんなさい、深い意味はないんです。そうですよね。まだ若いんですもん、そんなこと真剣に考えたりしませんよね」


 ふふっと笑って、長崎雅美は菜生にうなずきかけた。

「でも私くらいの年齢になると、考えちゃうんですよ、そういうこと。命が終わるって、どういうことなのかな、とか。私には子供がいないから、私の命は、誰ともつながらないまま、終わっちゃうのかな……とかね」


 雨が勢いを増して、銀の矢のように降ってくる。菜生たちのいる場所を閉ざして、二人をそこに閉じこめたまま、世界を塗り替えていく。
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