三日月の下、君に恋した
 え?

 今──何て?


「家まで送る。ちょっと待ってて」

 菜生に背を向けて、航は部屋を出て行く。


 視界が急にざらざらした感触に変わった。すべての音が遠ざかって、どこか違う場所に来たみたいだった。

 菜生の存在を拒もうとする世界に、彼の声が繰り返し聞こえる。


──もう二度ときみの前には現れない。


 喉の奥の石がもっと大きくなって、息苦しさに喘いだ。それでも声が出ない。

 もう終わったことだから?

 全部、嘘だったから?

 だから、もう二度と、会うことはないの……?

 足がふるえて思うように動かない。菜生を青い部屋の中に残して、彼が行ってしまう。


「……ま……待って」


 喉の奥にひっかかった声は、小さくかすれて部屋の外まで届かない。

 届かないと思った瞬間、菜生は部屋を飛び出していた。


「待って!」


 航が足を止めるのと同時に、菜生は彼の背中にしがみついていた。額を押しつけたまま、「嘘でもいい」と言った。
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