三日月の下、君に恋した
 菜生があきれた顔を向けると、美也子はしょんぼりしながらも、話を続けた。

「でもね、菜生さん。謎だらけっていうのはホントだと思いません? だって入社して一年も経つのに、いまだに噂しか──事実らしきことなんにも伝わってこないんですもん」


 確かに、と菜生は目の前の広い背中を見上げて思った。

 この一年間、彼に関することで聞こえてくる事実は、とても有能な人だということだけで、あとは、女性関係にしても、家族関係にしても、以前の仕事関係にしても、プライベートな部分は機密情報なのかと思うくらい徹底的に謎だった。


 今、こうして近くにいてわかるのは、けっこう背が高いということ。一八〇くらい?

 細身だけど、痩せてる感じじゃないこと。

 黒いコートの袖からのぞく手は骨張っていて大きくて、指が長いということ。

 あとは……せっかく間近で見るチャンスなのに、きれいに整った顔を見られないのが残念。

 と、そのとき急に彼が振り向いた。おもいきり目が合ってしまい、次の瞬間もうこれ以上ないタイミングで、菜生の空っぽのお腹がぐううっと鳴った。
< 4 / 246 >

この作品をシェア

pagetop