万年樹の旅人

 ラムザ爺さんが、少し早口に喋りだすときは、決まってこの話題だった。現に今も感奮しているのが手に取るようにわかる。幼い子供のように、目を大きく見ひらき、呼吸をすることすら忘れてしまうほど、周りが見えなくなる。時おり自分の唾液で噎せて咳き込む姿を見ていると、不謹慎にも頬が緩んでしまうのだ。そんなラムザ爺さんが、ユナはとても好きだった。また聞かせてくれる話も。

 いつもは不思議に思わなかったラムザ爺さんの話も、しかしこのときばかりはふと胸に大きなしこりを残した。川で泳ぐ魚の姿はたくさん見えるのに、いざ釣ろうとすればどれだけ時間をかけても釣れないときの気持ちに似ている。どうしてだろう、と焦燥する。なにか、大事なものだけが指の隙間から滑り落ちていっているようだった。

 ――だって、あまりにも似ている。

 夢の中に出てきた様子と、ラムザ爺さんが話してくれる世界の姿が。

 現実に戻ってすぐには、その事実が結びつかなかったが、今こうしてラムザ爺さんが万年樹という樹の名前を知っていることも、そもそもこことは違うという世界の様子を知っていること自体が不思議でたまらない。だから、訊かずにはいられなかった。

「――ねえ、ラムザ爺さんはなんでそんなにたくさんのことを知っているの?」

 ふいに、静寂が訪れた。ラムザ爺さんが話をやめてしまうと、こんなにも部屋の中は静かになってしまう。糸をぴんと張ったような緊張感がユナの中に流れた。

「儂がまだお前さんほどの頃に流行ったんじゃよ。そういう物語がな。あの頃の人間は、誰でもこの話を信じている」

 いつもと変わらぬ笑顔だというのに、その表情にはどこか困惑の色が刷けられているように思えた。そして一層、ユナの中に芽生えた瘤が大きくなっていく。

 ならば、なぜ学舎の子供たちにこの話をすれば、皆口を揃えたようにユナを笑いものにするのだろう。そんな絵本みたいな話があるはずはないと。ラムザ爺さんと同じ年の頃の祖父母を持つ家庭は決して少なくはない。たとえばそれが僅かな人間の間でのみ流行した物語だとしても、学舎の同じ教室の子供たち全員が知らない、というのはおかしくはないのだろうか。

 それに、とユナは無言で夢の中での意識を取り戻そうとしていた。
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