桜花舞うとき、きみを想う


居眠りをしているきみなんて、ぼくはそれまで一度だって見たことがなかったから、得をした気分になった。

笑っているきみも、泣いているきみも、幼い頃からさんざん見てきた。

でもそれは、ぼくだけでなく、家族や友人の誰もが目にしたことのあるきみの姿だろう。

けれど、こうしてこの部屋で気を許し夢の世界を旅するきみの寝顔は、その瞬間、ぼくだけのものだった。

ぼくは衣擦れの音にすら気をつけながら、そっときみに近づいた。

ゆっくりしゃがんできみの顔を覗き込もうとしたとき、膝に置かれたきみの右手に、まだ糸がついた針があることに気が付いた。

今にも左手に刺さりそうになっていたから、ぼくはそれをそっと抜き取った。

そのとき、ぼくの手がほんの少しきみの手に触れてしまって、しまったと思った。

案の定きみは、ハッと顔を上げ、目を覚ましてしまった。

「あーあ、起こしちまった」

「やだ。わたしったら居眠りなんてしていたのね」

「せっかくきみの寝顔を独り占めしていたのに」

ぼくが拗ねて畳に大の字に寝転がると、きみは頬を緩めた。



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