ひとまわり、それ以上の恋
 ぎゅっと握りしめた掌が、緊張で開かない。
「これは君と僕のヒミツだよ」
「……あの」

 待って、もしかして、とんでもないことになってる。
 まさか、セクハラ? 市ヶ谷さんに限ってそんなことない、なんていうのは私の恋するフィルターのせい?

 あの、から先へ出ていかない。戸惑っている私を見て、市ヶ谷さんはふっと口角を引きあげた。

「朝、起こしにきてほしい、君に。できたら一緒に食事を」
「私が? どうして……いいんですか? でも、そんなこと」
 脳内の情報処理がうまく働いてくれない。というか、もう故障してしまったようなパニック状態だ。

「ああ、落ち着いて。ヘンなことを考えたりしてる? 大丈夫。心配しないで。前の秘書にもよく頼んでたんだ。誰かがいるっていうことで意識的改革できるんじゃないかって。一緒に朝食をとりながら仕事の話でもすれば、目が覚めていく。この年になって一人でいるっていうのも考えものだね」

 と彼は笑った。
 ヘンなことって……市ヶ谷さんがヒミツだよ、なんて言うからなのに。
 もしかして、私は、からかわれただけ?

「冗談も通じるようになってくれると、ありがたいかな」
「……ごめんなさい」
「いいけど。初々しくて」

 私の顔はきっと真っ赤に染まっているだろう。だって、さっき市ヶ谷さんの声を感じた耳まで熱い。

 オトナの冗談を通じるほど、私はまだ成熟しきっていない。
 市ヶ谷さんの色っぽい眼差しに捕まっちゃうと、勝手にドキドキするんだから、どうしようもない。

「明日からよろしく。じゃあ、そういうことで君は秘書課へ戻って。僕はこれから会議だ。ジュネーブから戻ってきた社長にも挨拶をしないとね」

 市ヶ谷さんは至ってスマートだった。私の動揺一つずつを分けてあげたいくらい。
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