佳き日に




そのとき、横でザシュッと地面を蹴る音が聞こえた。
目の前を、白と赤が滑らかに横切っていく。

数秒遅れて、それは柔らかそうなワンピースの布だと気付く。



萩が、落下する女の人に向かって走り出していた。
手も足も負傷しているはずなのに、そのスピードは緩まることを知らない。

どんどん遠のく萩の背中。


何をそんなに必死に走っているのだろう、と琥珀は呆然とする。

そのとき、小さな背中を震わせて切羽詰まった声で萩が叫んだ。

縋るように、必死の叫びだった。




「おかあさん!」



なんだ、萩は話せたのか、と琥珀はそんなことを考えてから、目の前の光景から目を背けた。

よろける萩の細い足。

血が滲んでいて、琥珀の手に力が入らなくなる。


落下する女の人。
萩の母親。

ゆるく、放物線を描いて落ちるはずだ。


ギュッと目をつぶる。




ぐちゃっと、生々しい音がした。




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