佳き日に

この場所が始まりで




[4]


あんなに煩かった蝉もようやくいなくなり、夜が少し寒くなった。

秋だな、と思うと同時に時が経つのは早いな、とエナカは感じる。

築四十八年。
二階建のそこそこ広いこの一軒家はエナカが生まれた年に建てられた。
家族はもう数十年前にいなくなっており、この家にはエナカ一人しかいない。

「心うっきうきわくわくー♫」

CMで流れていた曲を口ずさみながらエナカはビールを開ける。
落ち込んだときも、寂しいときも、心を紛らわすのにはアルコールが一番だと思う。

一気に飲み干し、秋が色づいてきた庭を眺めようかと思ったとき、携帯がヴーッとバイブした。

「非常識。」

夜中に携帯をいじるのが好きではないエナカは渋い顔のまま画面を見る。
男からだった。
しかも最近言いよってくる男。

“江中さんは、どんな本がお好きなんですか?“

「エナカはカタカナ表記だっつのに。」

しかめっ面でエナカはパチパチと返信を打つ。

“エナカさんは、人魚姫が好きだそーですよ“

メールってめんどくさい。
どうでもいいことなのにダラダラと長く続く。
しかも相手の都合を考えてない感じがまた、なんとも。

「便利なんだけどねぇ。」

エナカはそう呟き、さっきのメール相手を思いおこす。
一体何が良くて私なんかに言いよるのか。

これはエナカの一年前からの疑問だ。
さっきは最近、などと言ったが、実際あの男はもう一年以上もエナカにかまい続けている。
どうでもいいメールに始まりバイト先に遊びにきたり、たまに夕飯をお裾分けしてきたり。
お裾分けは実はけっこうありがたい。
だが何故エナカにそこまでしてくれるのか?

「つき合ってみれば分かるんじゃないですかー?」

月に一度くらいの割合でフラーッと遊びにくる女子高生にはよくそう言われる。
言われる度にそうじゃない、と思う。


私が知りたいのは理由だ。




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