絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
「……たぶん……」
 口調が鈍い香月の表情は少し曇っている。
「ところで、出会ったしるしに、食事にでもいきませんか? 実は今日は巽君とは食事の約束をしているんです。だから、よかったらあなたも一緒に」
「え、ああ、そうなんですか……。でも勝手に行っていいのかな……」
「大丈夫、大丈夫、3人での食事会なんて、巽君もびっくりしますよ」
「……」
「実は、国際ホテルの懐石を予約してあります。もうすでに来てるかもしれませんね」
 大げさに腕時計を確認して見せた。
「あじゃあ……でも、私からも一応連絡しておいた方がいいのかな……」
 香月はおもむろに、バックを手探りし始める。
「大丈夫、いりませんよ。それよりも、びっくりさせた方が面白いでしょう? あいつ、滅多にびっくりしませんから」
「あ、やっぱり」
 香月の表情がパッと変わった。あ、そういう話が聞きたいのね。
「そうです、そうです。昔、ほんと昔ですよ、もう20年くらい前、バーベキューをしたことがありましてね、その時なんか鉄板触って熱いのを我慢してて、後から見たら火傷が酷くなっててね、なんで早く言わないんだって皆で怒りましたよ(笑)」
「ああ、らしいですね」
 ようやく香月は笑顔を見せた。半分嘘の話に。
「でしょう。昔から相変わらずなんですよ。あのポーカーフェイス。こっちが驚かされるばかりです」
「ですよね、私もよく思います!」
「ああ、今日はあいつの前で昔話を披露してやろう、どんな顔するかな」
「面白そうですね(笑)」
 香月もずいぶん乗り気になってきている。ちょろいもんだ。
「ええ、今日はきっと、楽しい一夜になりますよ。ええと、ここへは車で来ているのですか?」
「いえ、今日は家族に送ってもらったので……」
「ああ、丁度いい。じゃあ私の車で行きましょう。それに、僕は女の人に運転させるのはあまり好きじゃない」
 にっこり笑って、警戒心を完全に解き切る。
「私も苦手です。運転」
「そうですか。じゃあ遠慮なく僕の車へ」
 香月愛は何の根拠もなしに、ただこの笑顔と昔話につられて堂々とベンツに乗り込んでくる。ああ、素直で無防備で、軽率で疑うことを知らない、美人な女だ。
 運転をしながら、ちらちらと盗み見るその横顔はとても洗礼されていて、こんな暗い中、至近距離でいると、何が何でも自分の物にしたくなる。
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