気ままに生きる

産まれてきた娘に「いらっしゃい」って声をかけたよ

 1982年から83年にかけては1年間にライブを50本以上やっていたみたい。レコーディングもしていたことを考えると相当忙しかったよね。でもカップス時代の忙しさに比べれば、楽しみながらできたよ。いろんな場所でたくさんの演奏をしたけど、昔と違って嫌だと思ったことは一度もなかったよ。

 かなりライブをやっていたから、忘れていることも多いけど、ずいぶんいろんな事件もあったみたいだね。インターネットに書いてあったらしいけど、京都のライブの時にサポートメンバーでキーボードを担当していたダニー・マトラッツォ(Dany Matrazzo…CharがJLC結成前のソロ時代にもキーボードで参加していた)とひともんちゃくあったんだ。ダニーが連れていたキャサリンって娘がいてさ、もめごとばっかり起こしてたんだよ。行くところ行くところでもめごとを起こすから、ついに俺も堪忍袋の緒がきれたんだよね。ステージ本番前の打ち合わせで「ダニーお前帰れ、3人でやろう、決定! じゃあね」って言っちゃったみたい。それでダニーのサポートは終わったよ。

 あと大阪バラードでのライブでお客さんのビールが俺のベースにかかって3曲目でバンドはステージを降りたっていうんだけど、ちゃんと覚えてないけど、ビールがベースにかかったくらいでやめるようなバンドじゃないと思うな。スペアのベースもあったと思うし。おかしいな! なんだかとってもおかしいな、だね。
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