気ままに生きる

アン・ルイスのレコーディングで1音間違えたけど、そのままレコードになった

 1983年はいろんなレコーディングに参加したよ。レコード会社がvapに移ってからだね。レコード会社で俺たちが生活するためのお金を出してくれるじゃん。その代わり年内に何枚作る、そういう契約なんだよ。ジョニーとCharと俺でひとりずつのソロと、他にレコードを何枚かってね。ハルク・ホーガン(アメリカのプロレスラー、80年代に日本のプロレスに参加、2メートルの長身で、得意技はアックス・ボンバー、「イチバーン」の掛け声で人気があった)と一緒にやったのもこの時。

 ずっと給料制だったから、最初のうちはかなり仕事したよね。その時は月給は手取り28万。そんな感じでやっていたよ。その後、21万になっちゃった(笑)でもそれ以外にステージをやると1回で3~4万もらえたかな。だけど21万の頃になると、ライブをあんまりやらないんだよね。確か何ヶ月に1回か2回かそんなもんでしょ。

 この頃Charが銀座スモーキースタジオを作ったでしょ。そこは上のフロアに議員さんみたいな人がいて、その下の一画を貸してくれたみたい。そのスモーキースタジオで個人個人のソロとかPINK CLOUDのレコードとか、ハルク・ホーガン、アン・ルイス(1971年デビューのシンガー、「グッド・バイ・マイ・ラブ」や「六本木心中」などのヒット曲がある)なんかのレコーディングをしたんだ。

 このスタジオはこじんまりとした小さいスタジオで、マンションの一室みたいな感じで落ち着いたよ。有楽町から約5分くらいの一等地にあって、大きくはないけど立派なビルだったな。電車で有楽町まで通っていたな。
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