気ままに生きる

ゴールデン・カップスの映画を撮るので再結成することになった

 ミッキーから電話があって“ゴールデン・カップスをもう一度やろう”という話があった。その時はへぇーって思ったくらい。みんな、ちゃんと集まるのかなって。

 それからSTORMY MONDAY(横浜の関内にあるライブハウス)で俺がライブをやっていた時に、アルタミラピクチャーズの社長の桝井さん(桝井省志…映画プロデューサー、1993年に映画制作会社アルタミラピクチャーズを設立し、「ウォーターボーイズ」「スイングガールズ」などを手がけた)が来て、初めて話をした。何を話したのかはあまり覚えてないんだけど、ゴールデン・カップスの映画を撮るので再結成をしましょうという話だったと思う。でも映画を撮るということが、その時はあまり理解できなかった。

 その後、カップスのメンバーで集まって、みんなでもう一度再結成しようという話になった。同窓会みたいな感じでね。カップスの映画制作を兼ねての再結成はここで始まったね。

 それで昔やっていた曲をもう一度いろいろやることになったんだけど、いざまたやってみたら意外と難しい。昔は毎日演奏していたし、難しいなんて思わなかったけど、再度やってみるとあらためて難しいと思ったよ。特に「長い髪の少女」「愛する君に」などは体が受け付けなくて、やる度に間違えていたよ。間違える度に自分で笑いながらやっていたよ。練習ではミッキーが難しくアレンジしてきたから、最初に練習してた頃は困ったけど、サポート・メンバーでスティーブ・フォックス(ベーシスト、ロックバンドのゴダイゴで活躍した)が入ったから気が楽になっちゃった。俺としてはオリジナル・メンバーのままでやりたかったけどね。

 2003年5月に映画用のライブを横浜のマトリックスという場所で撮った。実際のライブをドキュメンタリー形式で上映するという企画だったんだけど、ここはすごく行くのが大変な場所で、お客さんが来るのかなと思ったけど、たくさんの人たちが来てくれた。若い頃カップスを見に来てくれた人たちや若い子なんかも来ていた。カップスって人気あったんだなあと思ったよ。

 このライブにはサポート・メンバーで樋口君(樋口晶之…ドラマー、ブルース・クリエイション参加後に多くのバンド、セッションに参加した)、中村君(中村裕介)とスティーブが入った。サポート・メンバーを入れたのはミッキーの考えだと思う。俺はオリジナル・メンバーがいいと思ったけど、時さんが音楽に関してはミッキーに全部まかせていたから。ま、それはそれでいいと思った。俺は楽だしね。
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