気ままに生きる
 もちろん今となっては笑い話や思い出話になるような面白いこともたくさんあった。

 大島渚監督がカップスを映画に起用しようとしたらしくて、オーディションに行って、みんな台本を持たされたんだけど、ブッチが日本語を読めなくて困っちゃった。他の人は暗記しながら読んでたけど、俺たちはセリフ棒読みで誰もできなかった。当然、映画に出演することもなかった。そもそも俺たちを呼ぶのが間違っているよね。

 NHKの紅白歌合戦のオーディションを受けたこともあった。けど、長髪だからっていう理由でダメだった。今じゃありえないよね。

 あとSONYのコマーシャルに出演したこともあったな。脚立の上に乗って楽器を弾いているシーンをとったよ。実際に使われた音は江藤勲(ベーシスト、日本のロック創世記の頃から活動。スタジオミュージシャンとしてロック、フォーク、歌謡曲など幅広くレコーディングに参加した)だけどね。

 バンド同士の付き合いも無かったわけではないよ。キャンティ(東京都港区麻布台にあるイタリアンレストラン、芸能人、映画関係者、作家、デザイナー、財界人などでにぎわい、文化サロン的存在であった)にはよく遊びに行った。デザイナーの人とかもいたね。

 だけど、みんな忙しいから遊んでいる時間はそんなになかった。どこかでパーティーがあったりするときに一緒にいるとか、ウエスタン・カーニバルのときに鈴木ひろみつがいたモップスの連中やタイガースのピー(瞳みのる)と一緒にいたりとかしたけどね。

 ウエスタン・カーニバルのときに最初の頃は先輩バンドのところにみんなで挨拶に行ったよ、おはようございますって。でも行かなかったりもしたけどね、途中からは。

 そう言えば、ブルー・コメッツのジャッキー吉川が「ベース上手いなお前」って言ってくれたな。その時はブッチと一緒にいたんだけど、俺ら黙って聞いていたら、ありがとうございますくらい言えって怒られたよ。同じブルー・コメッツだったら、もう亡くなってしまったけど井上忠夫、あの人はすごく優しい人だったのを覚えている。
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