気ままに生きる
 一緒にベース回りしていたのは、それとエディ(エディ藩…ゴールデン・カップスのリード・ギター)と中華街の萬珍楼の今の社長林さん(ギターがめちゃめちゃうまくて、エディより立場が上だった)でフェンダー・ジャズマスターを弾いてた。それにセント・ジョセフ校(Saint Joseph College)のジョニー野村(後のゴダイゴのプロデューサー)、ブッチ。

 バンド名は場所によって変えていた。テイク・ファイブとかファナティックス(はエディと萬珍楼の人がやってたんだけど、ブッチがボーカルでね)、モジョスとか。ブッチの名前が米軍に通っていたから、演奏場所によってメンバーも名前も流動的だった。

 その萬珍楼の林さんとエディはフェンダーのジャズマスターとかジャガーを持っているんだ。

 俺のはグヤトーンの薄っぺらいギターで「ちょっと触らせてください」って言って、弾かせてもらったら全然違うんだよ。思わず自分のを「なんだろうこのギター」って家でほっぽったことがあったよ。

 そのギターをフェンダーに似せるために一生懸命削ったりしたよ。弦とピックはフェンダーなんだけど、ギターだけはグヤトーンなんだよね。

 あの頃フェンダーは24万円くらいしていたけど、俺が買ったのは1万2千円くらいだったからね。それでもあの頃の給料からしたら高いものだったよね。
< 9 / 203 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop