女の隙間、男の作為

愛用の腕時計が示す時間は午前9時47分。
週に一度の出社日をフレックス…というわけにもいかず真面目に朝一で出社し、相変わらず紙パックの野菜ジュースのストローを咥えながら、パソコンのパスワードを打ち込んでいたところで、デスクの電話が鳴ったのだ。
ディスプレイには【1F 受付】とある。朝一番に来客の予定はないし、そもそもこのご時世にわざわざ面直の打ち合わせなどレアケースだ。
不審に思いながら受話器を取った結果がコレである。

目の前には見知らぬ若い女がいて、打ち合わせブースの小さなテーブルの上に黒いiPhoneが置いてあり、あたしは飲みかけの野菜ジュースの残りを勢いよくバキュームしているところだ。

繰り返しになるが時刻は午前9時47分。フロア1階の打ち合わせブースの椅子に腰を下ろして30分が経過しようとしている。普段は在宅で仕事しているが出社しないとできない業務も少なくはない。それを最速で片づけるために朝一番で出社したというのに、なぜこんなところで貴重な時間をゴミにしなければいけないのか、まったく理解できない。これもすべてあのバカ男の所為かと思うと、ふつふつと怒りが湧いてくる。アラフォーの女に無駄なカロリー消費はよくないのに。あいつ、後で覚えてろよ。

「で、あなたはわざわざ朝も早くからソレを届けにきた、と」
「そうです。ご主人が忘れて行かれたので、お届けしようと」

目の前の若い女(名前は聞いた気がするけど忘れた。あたしの脳みそは午前10時を過ぎないと機能しないのだ)は、マスク越しでもわかるくらいとニッコリと笑っている。あのパステルカラーのマスクってどこで売ってるんだろう? というかマスクにそんな金かけるんだ。こういう女の子って今も昔も変わらないな。見た目をきれいにすることに金も時間も惜しまない。きれいに巻かれた栗色の髪。桃色の爪。不自然なくらい美しカールしたまつげ。マスクに負けるものかという強い意志を感じるアイメイク。朝9時にこんな冴えないオフィスに来るために、こんなに着飾ってきたのだ。素晴らしい。そのガッツを誰か褒めてあげるべきだ。あたし以外の誰かが。


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