桜の咲く頃に

二人の警備員 4月2日

 暗がりの中、あちらこちらで自動販売気だけ明々と電気がついている。明かりの消えた駅構内は、昼間と違いかなり不気味だ。
 すーっと二人の人影が並んで通り過ぎていく。
 やがて駅を出て、深い闇の中に姿を消した。

「……もう話してもいいかな?」
 年配の方がおもむろに口を開く。
「ここまで来れば、大丈夫っすよ」
 若い方がすかさず答える。
「立花君、さっきから後ろに気配を感じるんだけど、何か付いてきてるのかな?」 
 心なしか声が震えているように聞こえる。
「え、気のせいじゃないんっすか? 小畑さん、もうすぐ着きますよ」
 動揺を悟られないように努めて平静を装う。
 どこにでもあるような街の中に、突然妖しい雰囲気を醸し出す建物が現れた。
 築30年は経つだろうアパートは、伸び放題の草木に覆われ、コンクリートの外壁には、ところどころ苔や雑草まで生えている。
 二人は警備用懐中電灯を消し、共同玄関から廊下を通って突き当たりの部屋に向かう。
 中に入るやいなや、かび臭い空気が鼻腔を刺激した。
 風呂場のドアが少し開いている。
 板張りの狭いキッチンを横切って木枠のガラス戸の向こうは、6畳の和室だ。
「ふ~、やれやれ。こんな時間帯だと10分歩くだけでもきついな、年のせいかな?」
 小畑は、エアコンのボタンを押すと、染みだらけの座布団を引き寄せ、どかっと座り込んだ。
「ずっと立ちっぱなしだったし、普通の人なら寝入ってる時間っすから、疲れてて当たり前っすよ」
 あくび交じりで返答をしてから、立花はキッチンに立つ。
 帽子を脱いだ小畑の頭に、白いものが混じった髪がぺったりと張り付いている。
 部屋の中を見回しても、何ら変わったことはない。
 目の前の丸いちゃぶ台の他に家具といえば、部屋の隅で安っぽいテレビ台の上にでんと居座っている、今時珍しい超厚型テレビだけだ。
「それにしても、立花君、今夜は酔っ払い多かったよなあ。金曜日と桜の満開が重なったからかな? この沿線って桜の名所多いからな。ベンチで寝てる奴を起こして終電に放り込むのはどうにかなるけど、降りてきてよたよたしてる奴を駅構内から追い出すのって面倒くさいよな」
「それはそうっすけど、今夜は何事もなくてよかったっすよ。先週なんか、線路に落ちたバカがいて、大騒ぎになりましたからね」
 立花はキッチンから体を半分だけ出して、力ない笑みを浮かべる。
「こんな部屋でも、暖房つけられるだけでも、恵まれてるかなあ? 施設警備の連中なんか、電気代削減で夜は暖房どころか電気もつけられないそうだからなあ」
「でも、共用布団って、最悪っすよねえ。前に寝てた人の汗や汚れや臭いが残ってたり……初めて染みだらけの布団を見たとき、こんなとこに寝られるか! って思ったんっすけど、それが、今じゃ敷き終わって横になったら、爆睡っすからねえ」
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