出会いから付き合うまで。

 あたしの彼に対する興味が深まったところで、あの出来事が起きた。
「声出ししようよ」
 誰かが言い始めた。声のした方を振り返ると、杉松さんだった。杉松さんは知的な女性で一焼堂のムードメイカーだった。ポニーテールをしていて目元がキュートな人だ。大人な女性、と言う感じがして凄く話しやすい。話の持っていき方が上手いんだ。背の高さは中背といったところ。面白い人、と言う印象が強い。
「バタバタしてる時は忘れやすいから声掛けを徹底しようよ」
 皆が何だ? と言う顔で杉松さんのことを注視したから、杉松さんは言い訳がましく説明を付け足した。
 この店にはデビル玉というハバネロなどの激辛素材をこれでもかというほど入れまくった、激辛お好み焼きがある。そのデビル玉をお客さんに提供する時にどろ辛ソースという辛いソースを一緒に持って行かないといけない。でも、店が込み入ってきてバタバタしている時は皆忘れやすい、だから声掛けをしようと言うのが杉松さんの主張だ。
「いい? 私がまず見本を見せるから、皆はまねをしてみて。焼き場とホールの連携ね」
 皆静まり返って、杉松さんの方を注目する。
「提供お願いします」
「あいよ」
「どろソース」
「あいよ」
 杉松さんの一人芝居だ。皆あっけにとらわれている。
 静まり返ったホールの中、吹き出す音が響いた。何かと思って見てみると、草加君が一人で声を立てて笑っている。その笑顔がとても印象深くて、可愛いな、とあたしは思った。印象ががらりと変わった瞬間だった。その笑い声に釣られたのか、皆いっせいに笑い出した。場の空気が一変に変わった。やっぱり杉松さんは凄い。
 それ以来、あたし達は杉松さんのアイデアを取り入れ、掛け声の絶えない店内になった。忙しい時など、活気があってとても良い雰囲気だ。
 彼が笑った。あたしにとってそれは、とても大きな事件だった。
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