ワケあり!

朔日

 目を開けたといっても、すべてがいつも通りだったわけではない。

 うまく考えられなかったし、まったく動けなかった。

 それが、何故かさえ考えられなかったのだ。

 ぼんやりと白い蛍光灯を見て、ぼんやりとまばたきをする。

「おはようございます」

 声が、自分の頭蓋の遠いところで反響した。

 首さえ曲げられないため、声の方を向くことも出来ない。

 生まれたばかりの赤子でさえ、これはないだろう。

「薬で動けないだけです。少しずつ自由が効くようになりますよ」

 五感のコントロールがおかしく、声を聞いている感じがしない。

 ただ、音の塊が当たっているだけ。

「いろいろ聞きたいこともあるでしょうが、もう少し回復を待ってください」

 その、音のつぶてが頭に当たった時。

 絹は――聞かなければならないことに手を伸ばしていた。

 頭が考えるより、反射的に掴もうとしたのだ。

 それを、形にしようとする。

 思考にしようとする。

 だが、霧のように掴めない。

 掴めたところで、唇も動かない今、どうやって聞くのか。

 あ、あ。

 だが、絹は必死で霧をかき集めようとした。

 それは、とてもとても大事な事。

 指をすりぬけ続ける霧を、絹は必死ですくう。

 ああ。

 ほんの少しだけ、握ることのできたそれを、絹はゆっくりと噛み締めた。

 声には出来ない。

 ただ、額に浮かび上がらせるだけ。

 だが、ようやく思考にはできた。

 細く、頼りない心の粒。

 わたしは。

 わたしは――わたしですか?

 その変な粒が。

 いまの絹には、一番大切なことだった。
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