デュッセルドルフの針金師たち前編
やっと古都ウィーンに着いた。
アウトバーンもミュンヘンまでで後は一般道。
ザルツブルグの美しいお城を見学してオーストリアに入る。

言葉はドイツ語だが貨幣はシリング。
スウェーデン、デンマーク、ドイツと物価は下がって
暮らしやすくはなるが、ここではさらに安く
トルコ人の出稼ぎが多く驚いた。

さあ、待ちに待ったくるみとの再会だ。
モスクワから列車で西駅に入るはずだ。
今日の夕方の到着。くるみと出会ったら、

早速おじさんと別れてくるみとコペンへ行こう。
と思いつつ待った。もう夜は寒い。
列車が到着したみたいだ、日本人の団体が降りてきた。

いよいよだ。一人一人じっと顔を見ていく。
何故だいないぞ、そんなばかな。
数十人の団体だ、もういないと分かる。

唯一のくるみの写真を手にして三々五々別れ始めた
グループに一つ一つ聞いて回る。

「この人見ませんでしたか?」
「ご存知ありませんか?」
「いませんでしたか?」

恥も外聞もなくとはこのことだ。何故だ?。
何度も手紙を交わし、広島の親元や
東京の勝秀とも協力してもらって、

彼女は間違いなくこの10日前まで、
間違いなく出発のはずだったのに。

画家のおじさんが慰めてくれたが何かの間違いだ。
もう一日待ってみよう。さらにもう一日。
三日目、5星の最高級ホテルから国際電話を入れた。

『1週間前に土壇場でキャンセル。どうしても行けないと、
くるみが泣きながら勝秀の所へ連絡してきたとのこと。
もうオサムはコペンを出た後で連絡も取れず、どうしたものかと』

相当苦しかったろうな。大きな賭けだったもんな。すまん。
『よく分かりました義兄さん。皆に心配掛けてほんとにすみません。
コペンの人には訳を言って半年待ってもらいこっちで稼いで返します』

当時300ドルの送金というのは全くもって困難を極めたのだ。
仕事はある。体力も気力も十分だ。さあ、おじさん!
一緒に仕事を探そうか。

ビートルズの”ロールオーバーベートーベン”をがんがんかけながら、
ポップアートのかぶと虫はとろとろとウィーンをあとにした。
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