絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅳ
巽の深みにはまるといいうこと

新たな輪

 もしも、昨日の電話で、芹沢が死んだ、と聞かされたら、眠れなかったかもしれない。
 だが、幸いにも、芹沢は一命を取り留めている。
 その差はこんなにも大きいものなのだろうか。
 香月は、結局、朝の10時まで、芹沢のことを大半忘れていた。そして、一仕事終えてぼんやりした頃に、ポットに湯を注ぎながら思い出すのである。
 今井はまだこの事実を知らないだろう。
 いや、巽はもう近づくな、と言った。とすれば、今井にこのことを教えるな、ということにもつながっているのかもしれない。
「お、いいところに来たな」
 その声は佐々木だ。この給湯室で会うのはもう毎度のことで、密かに2人の距離は近くなっているのかもしれない。課の中では、私がポットに湯を入れていることを、佐々木のおかげで幾人かの人が知ることになった。
 それが少し嬉しかったため、佐々木のことは、一目置いているのである。
「はい、沸いてます」
 日本茶かコーヒーしか飲まない佐々木は、典型的な仕事人間だった。
 香月はいつもの湯のみに、丁寧にお茶を入れた。
「ありがとう」
「いえ」
 にっこり笑った。
「永作……だったかな、名前は忘れたけど。昨日事務室で見たんだけどさ、前はすごい格好してたんだってね」
「ああ、そうですよ(笑)。総会の名物でしたから。……今はどこの店舗なんだろう」
「先月辞めたらしいぞ」
「え!?」
 佐々木から目が離せなかった。
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