エスメラルダ
第十四章・芽吹き
 二月の終わりにアユリカナは王都カリナグレイに戻ってきた。二月十九日のレイリエとハイダーシュの華燭の典に出席するため、アユリカナはファトナムールの王都にまで出向いていたのであった。
 王族とはいえ、王位継承権も放棄し、尚且つ国を捨てた女の婚姻の為にフランヴェルジュもブランシールも動かなかった。否、動けなかったといったほ方が正しいか。
 フランヴェルジュは発表こそエスメラルダの誕生日にすると決めていたが、式までに時間がない事もあり、人々を急かしていた。王としての執務の他に細々とした事に気を遣うのは、周囲や家族の心配りがあっても中々大変であったのである。
 そんな中、ファトナムールに行くと主張したのはアユリカナ自身であった。
 フランヴェルジュとブランシールは反対した。
 もうレイリエは、メルローアとは何の関係もない人間だと言って。適当に使節を送るだけで充分だと言ったのだが、だが、しかし、こういうところは流石はフランヴェルジュの母親というべきであろうか。最後には自分の主張を通してしまったのである。
 そして式に出席して帰ってきたところ、息子達と娘、そしてこれから娘になる少女に熱狂的に迎えられたのだ。
 アユリカナは静寂を必要としていた。
 だが、そんな様は微塵も見せず、子供達の声に答えた。
 メルローアからファトナムールへの旅を共にしてきた御者や侍女、従僕、その他召使達に労いの言葉をかけるとアユリカナは旅の疲れもみせず微笑んで見せる。
 そしてフランヴェルジュのエスコートで『真白塔』に向かう。
 ブランシールもレーシアーナも、勿論エスメラルダもついていく。
 フランヴェルジュの王としての執務は、今日の分は終っていた。素晴らしい集中力であり、執念である。
 塔の中につくと、テーブルの上にはお茶の準備が、滞りなく済まされていた。
 エスメラルダとレーシアーナの計らいである。アユリカナの馬車が着く寸前にエスメラルダが焼き上げたスコーンはまだ温かかった。
「素敵ね。わたくし、ちょうど甘いものが食べたかったの」
 アユリカナは息子が引いた椅子に腰掛けるなりそう言った。
「味の保障は出来ませんわ。見た目は良いのですが。味見をしようと思ったらアユリカナ様が帰っていらしたとの報せを受けてスカートたくし上げて走りましたもの。淑女だとは思えませんわね」
 エスメラルダは笑う。
「貴女が手ずから焼いてくれたの? それではゆっくり味あわなくてはね」
 アユリカナの言葉にエスメラルダの頬は染まった。
 ブランシールが紅茶を温めてあったカップに注ぐ。アユリカナは砂糖ではなくアカシア蜜をその中に垂らした。席に着いたエスメラルダとレーシアーナもそれに習う。
 茶会のような和やかな空気が流れていた。
 アユリカナはスコーンに生クリームとジャムを塗る。その仕草が余りに色っぽいので娘達はどぎまぎしてしまう。色気の元は洗練だった。完璧に作法をこなしていながら、何事もないように振舞うその姿が艶かしかった。
 エスメラルダとレーシアーナが幾ら美しいとはいえ、それは真似できる事ではなかった。年月がアユリカナに刻んだ美であったから。
 スコーンを口に運んだアユリカナはゆっくりと咀嚼し、笑った。
「流石はわたくしの未来の娘ね」
 エスメラルダは真っ赤になってしまう。でも嬉しかった。そしていつか、というよりも四月の十日以降『母』になる人に認められたという誇らしさがあった。
「母上、エスメラルダはクッキーやパンも焼くのです。良い妻になると思われませんか?」
 エスメラルダの隣の席に座るフランヴェルジュの言葉にアユリカナは声立てて笑った。
「貴方には勿体無い嫁かもしれないわね」
 フランヴェルジュが頬を紅潮させた。
「母上!!」
「おお、怖い。ほんの冗談だわ」
 ブランシールとレーシアーナは口をつぐんだままだった。ただ静かにお茶を飲み、スコーンに無闇に生クリームを塗りつけている。
 誰も壊したくないのだ。この和やかな雰囲気を。だから沈黙する。
 ただ、いつまでもそうやって逃げられるものではない事をその場の誰もが知っていたが。
 そう。アユリカナも。
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