エスメラルダ
 だから彼女が口火を切る。
 話の導入の為にやんわりと話題を転換する。
「ハイダーシュ王太子殿下とレイリエの婚姻は見事なものでしたわ。わたくし達、決して遅れを取るわけにはいかなくってよ。建国二百年そこそこのファトナムールに負けてなるものですか。メルローアは芸術の国として名をはせているのですからね」
「そうですわね。今年七百四十七年目を数える我が国の威信にかけて」
 レーシアーナがそう言った。
 侍女として、今までブランシールの世話だけしていればよかった少女は突然、目の前に広がった世界に飲みこまれるようだった。王弟妃という立場は、レーシアーナが今まで見た事のない視点で世界を見る事を要求し、ただ一人の為ではなく国の為に、公務を割り振られるようになった。
 そして、夜会になどでる機会が増えたレーシアーナは今この国が抱える問題を正しく把握していた。
 国王の正妃として選ばれた娘が元は商人の娘である事を、年寄り共は見下し罵り、彼らの子供達は自分の娘が選ばれなかった事に一通り文句を言うと面白いゴシップとして処理し、そして少女の年代の者はロマンティックな恋愛として噂した。
 レーシアーナはそっと下腹部に手をやる。
 お腹の子供は男であれ女であれ王位第二位継承権を持つこととなる。エスメラルダが婚儀をつつがなく終らせ、子供を産むまでは。
 フランヴェルジュが婚姻を急がせ、婚約発表からたった三ヶ月しか準備期間を用意しなかったのもその所為である。
 肝心の華燭の典の日時の発表からは二ヶ月もなかった。それがどんなに異常な事なのか今のレーシアーナには手に取るように解る。
 ブランシールやその子を政争の道具にされたくないのだ、フランヴェルジュは。
 そのためには一刻も早く婚姻を済ませ、エスメラルダを社交界、後宮、政治、外交、その他にも考えられうる全ての物事に対応させ誰もが異議を挟めなくしてしまうしかない。
 ブランシールの子供を担ぎ出すものが現れる前にフランヴェルジュとエスメラルダ、二人の組み合わせを磐石にしておきたいのだ。
 そして二人の間の子供が国を継ぐように。
「レイリエ様は、さぞお美しかったでしょうね」
 エスメラルダはそう言うと上品にお茶を一口、啜った。
「美しかったですがやはり田舎ですね。ドレスがレーシアーナのものと比べれば幾分、野暮ったく感じられました」
 アユリカナの答えを聞き、エスメラルダはカップをソーサーの上に置いた。
 生きていただけでなく、未来の玉座まで用意されたレイリエに、エスメラルダは何となく嫌な予感がする。
 牙がまた生えた。
 歯が抜け替わるなんて、赤子ではあるまいし気味の悪い事。
 普通の女なら、歴史は母国より浅いとはいえ一つの王国の玉座に座すことが決まった時点で、野望は達成されるであろう。
 後は、贅沢三昧に走るなり慈善事業に駆けずり回るなり好きにすれば良い。それだけの権力を己の美貌と本能で勝ち取ったのだから。
 だが、レイリエは権力だけに執着しているようにはエスメラルダには思えないのだった。
 もし、アシュレ・ルーン・ランカスターが手に入るなら、レイリエはそんなものは壊れた玩具のように捨て見向きもしないであろう。
 だが、アシュレは既に神の国にいる。
 なら何故ファトナムールの王太子に取り入る必要があったのか。
 まさか恋をしたというのでは?
 エスメラルダは楽観的に考えようとして、すぐにやめた。
 レイリエがランカスターを愛したように男を愛せる女をエスメラルダは知らなかった。
 エスメラルダは確かにフランヴェルジュを愛しているがレイリエと比べると自分の愛情が矮小な気がするのだ。
 エスメラルダは毎日、心を雑巾のように振り絞り、泣きたい気分で、フランヴェルジュに愛していると言う。
 愛しすぎて苦しい位なのだ。
 手が触れただけで顔が赤くなる。目が合っただけで胸が高鳴る。抱き締められたら、窒息しそうになる。口づけを交わせば、脳が解けてしまったのではないかと思われるほどの快楽に翻弄される。
 だけれども、それでも、レイリエの狂愛には勝てない気がするのだ。
 何がそう思わせるのかエスメラルダには解らなかった。だけれども本能的に知っていた。
 エスメラルダの愛が少ないというのではなくレイリエの愛が異常なのであろう。それに愛の形は人それぞれ違う。
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